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あまりご存知の方はいませんが、衣笠城は非常に大きな山城でした。現在は物見岩が残っている程度なので、「しょせん横須賀の城はこんなもんか」とガッカリする方が多いかもしれません。
実際の城の規模は、北東方面は現在の衣笠山公園を含むあたりまで。小矢部城と呼ばれていました。西側は山続きの平作の境界まで、南側は太田和道の堀切の先の方までで、かなり大きな規模のお城でした。
しかし、1247年の宝治の乱で三浦一族は滅び、北条方に見方をした三浦盛時ら、一部の三浦一族が残るのみとなり、三浦半島の南部を領地とすることが許されました。その時代から衣笠城は使われなくなり、山城としての形体が消えていきました。 |
写真撮影:----年--月--日 |
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