1945年(昭和20年)8月15日、太平洋戦争は終結しました。ポツダム宣言により、海外の軍人、軍属および一般邦人は日本に送還されました。ここ浦賀港も引き揚げ指定港として中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人を受け入れました。
引き揚げ者は敗戦の失意のもと疲労困憊の極限にあり、栄養失調や疫病で倒れる者が続出しました。翌21年、華南方面からの引き上げ船内でコレラが発生しました。以後、続々と感染者を乗せた船が入港しました。このため、旧海軍対潜学校(久里浜長瀬)に設けられた浦賀検疫所に直接上陸し、有史以来かつてない大防疫が実施されました。この間、祖国を目の前にして多くの人々が船内や病院で亡くなるという悲劇がありました。昭和22年5月、浦賀引き揚げ援護局の閉鎖で、この地の引き上げ業務も幕を閉じました。
再び繰り返してはならない戦争による悲惨な引き揚げの体験を後世に伝え、犠牲となられた方々の鎮魂と恒久の平和を祈念して、市政百周年にあたりここに記念碑を建立しました。 |