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山号は流水山といい、宗派は浄土真宗、ご本尊は阿弥陀如来になります。
創建は古く、開山当初は真言宗のお寺でしたが、文明年間(1480年ごろ)に本願寺第八世御門主蓮如上人が布教のために関東に下向した時、当時の住職だった法憧坊善性(ほうどうぼうぜんしょう)がその教導を受け、浄土真宗に改宗しました。
寺名も住職の名前から2文字をとって、法善寺と改めました。
蓮如上人が書いた六字名号「南無阿弥陀仏」は軸にされて寺宝として保存されています。
本願寺蓮如は若い頃に関東に下向して布教活動を行ったことがありますが、文明年間には京都にいたと思われます。文書による布教活動は続けていたようなので、その時に改宗したのではないかと思います。 |
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1500年(明応9年)、明海によって中興されています。
山号の「流水山」は、昔は参道に面したところに、三浦五井のひとつで「吉井の井戸」があったと言われています。その井戸の名前をとって、村名が「吉井」になったという伝説が伝わっています。
この法善寺、檀家は大津近辺に多いようです。昔からこの地に建っていたのではなく、どこかから移動してきてここに建てられたと考えられています。
1804年(文化元年)には一家一寺のお触れ(一軒の檀那寺を一つの寺にすること)が出たころには西浦賀の寺院群に入っていました。その時にはすでにこの地に建てられていたので、それ以前にどこかから移動してきたと考えられています。大津方面が有力視されています。 |
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本堂内陣の格天井には、明治時代に描かれた243面の花の絵が鮮やかに描かれています。別の資料には161面とあります。
勝手に本堂内に入ることはできないので、どうしても見たい方は許可を得てから見せていただきましょう。
芸術品ではなく、信仰の対象のものであることはお忘れなく。 |
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