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十二所神社


十二所神社

バス停十二所神社下車 徒歩2分
地図
十二所神社
十二所神社

 十二所神社の拝殿は、こじんまりとしていますが、バランスのととのった綺麗な作りになっていました。私の好きな雰囲気を持った神社です。十二所という地名の由来にもなっている神社です。
 古くは熊野十二所権現社といい、1278年(弘安元年)に熊野十二権現を勧請して創建されました。光触寺境内にありましたが、1838年(天保9年)に現在地に移転しました。
三浦半島観光地図:鎌倉市十二所・光触寺
 社を管理していた明王院所蔵の棟札には、里人が土地や用材を寄進し、土木開墾の奉仕によって遷座されたと記されています。当時、30戸の村人の協力によって移転できました。
三浦半島観光地図:鎌倉市十二所・明王院
 明治維新によって神仏分離となり、天神七柱、地神七柱の十二柱の神様を祀り、十二所神社に改称されました。1873年(明治6年)に十二所の鎮守として村社に列格されました。
 祭神は天神七柱(あまつかみななはしら)、地神五柱(くにつかみななはしら)です。子孫繁栄のご利益があります。

写真撮影:2009年02月17日

十二所神社

バス停十二所神社下車 徒歩2分
地図
十二所神社
十二所神社

 斜めから見ると、良い感じに見えますね。丁寧に作られ、大切にされてきたって感じがします。装飾に施されている彫刻も立派です。
 かつて神輿(みこし)がありましたが、川に流れてしまいました。その後、大町の八雲神社が拾い上げた、畑に埋めたなどの言い伝えがありますが、ハッキリしたことはわかっていません。長い間、神輿はありませんでしたが、1983年(昭和58年)に氏子の協力によって万灯火神輿(ばんどうみこし)が完成しました。上部には十二所と書かれた提灯(ちょうちん)がグルリと取り付けられ、伝統を灯して四面の美しい絵が照らし出される神輿です。
三浦半島観光地図:鎌倉市大町・八雲神社
 毎年、9月9日に近い日曜日に祭礼が行われます。かつては豆腐を作っていたので、豆腐祭りと呼ばれていました。
 5月5日と12月31日、餅つき大会が行われます。大晦日の除夜の鐘と共に行われ、最初の餅は神殿に供えられます。

写真撮影:2009年02月17日

扁額

バス停十二所神社下車 徒歩2分
地図
扁額
扁額

 扁額にも「十二所神社」って書いてありました。
 鎌倉の神社や寺院はどこもそうなのですが、千社札がたくさん貼られていました。鎌倉の中心部から離れていても、やはりたくさんの観光客が訪れる場所なんですね。天井に貼ってある千社札って、どうやって貼り付けているんだろう・・・
 千社札については賛否両論ありますが、私は嫌いではありません。千社札が貼られていると信仰が厚い神社だなとか、歴史のある神社だなって思うし、雰囲気も好きだし。たくさんありすぎるのは好きじゃないけど。
 千社札には自主ルールみたいなのがあって、シールは禁止です。最近はシールの千社札が売られていますが、シールは剥がしづらいので禁止ってことになっています。
 あと、許可を取らないとNGです。最近はほとんどのところでNGになっているので、貼れるところは少ないんじゃないかなーと思います。
 当たり前ですが、文化財に千社札を貼るのは法律で罰せられてしまいます。
 千社札は神社やお寺にお参りした人が、社殿の柱や梁などに貼る紙です。室町時代に始まり、江戸時代中期に江戸を中心に広がりました。
 現在では車のステッカーなど、名札代わりに使われたりもしています。多色刷り、さまざまな字体、浮世絵や絵馬などの図柄が描かれていたりもします。本来は墨一色で、歌舞伎や相撲の看板・番付に使われる勘亭流(かんていりゅう)の書体で、屋号や名前を印刷します。
 多数作善の信仰に基づく千社詣でのさいに使われたもので、より多くの寺社に詣でることでご利益を得ようとしたものです。千社札は参拝を済ませた証しとして、神仏に祈願を伝えるために貼られました。

写真撮影:2009年02月17日

灯篭

バス停十二所神社下車 徒歩2分
地図
灯篭
灯篭

 十二所神社に入り口に置かれていた灯篭です。かなり古い物みたいですね。
 この灯篭って、上下のバランスが悪そうな気がします。ちょっとした地震や横風の影響で、簡単に倒れてしまいそうな気がします。上部は大きいのに、基礎部分はとても小さいです。
 灯篭は仏堂に献灯する施設として、百済(くだら)から伝わりました。奈良時代までさかのぼるほど、歴史は古いです。昼に法会を行う時の浄火に使われるものなので、照明器具として使っていたわけではありません。
 初めのうちは堂の正面に一基が置かれていましたが、室町時代末期以後、左右一対が置かれるようになり、装飾化が進みました。
 室町時代後期から神前用として使われるようになり、安土桃山時代には墓所前にも使われるようになりました。江戸時代に入ると、庭園の装飾品としても使われるようになりました。さらに、キリスト教徒によって、切支丹灯篭(きりしたんとうろう)と呼ばれる小型のものも作られるようになりました。

写真撮影:2009年02月17日

灯篭

バス停十二所神社下車 徒歩2分
地図
灯篭
灯篭

 拝殿前に置かれていた灯篭です。
 入り口に置かれていた灯篭に比べると、だいぶ新しそうな気がします。デザインもバランス良くスッキリしていますね。石材は固い石を使っているみたいなので、風化には強そうです。
 灯篭の構成は、上から宝珠、笠、火袋(ひぶくろ)、中台(ちゅうだい)、竿、基壇からなります。火袋は、八角、六角、四角などがあります。
 石灯篭に良く似た仏塔に、石幢(せきとう)があります。石幢は鎌倉時代に、中国から伝えられたものです。火袋に穴が開いてなかったり、仏像が彫られていたりで見分けますが、見慣れていないと見分けるのはちょっと難しいです。
 この他境内には、「百貫石」と呼ばれる石があるのですが、気が付かず写真は撮りそこなってしまいました。重さ28貫(約112kg)ありますが、100貫にはかなり足りません。かつては、祭りで百貫石を持ち上げる力自慢もいましたが、現在では挑戦する人もいなくなりました。

写真撮影:2009年02月17日

ほこら

バス停十二所神社下車 徒歩2分
地図
ほこら
ほこら

 境内に設置されていた、小さなホコラです。
 山の神の祠かな?
 現在、山の神と言えば箱根駅伝5区で活躍した選手のことをいいますが・・・。かつて山の神と言えば、山に宿る神様のことです。一般的には女神で、春になると山の神が山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るとされています。

写真撮影:2009年02月17日

ほこら

バス停十二所神社下車 徒歩2分
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ほこら
ほこら

 境内に設置されていた、小さなホコラです。
 地主神の祠です。
 地主神は、じぬしのかみ、とこぬしのかみって呼ばれます。現在では、広い土地を持った有力者のことを地主神なんて呼んだりもしますが・・・
 その土地に宿る神様のことです。そのため、土地ごとに信仰も異なるのが一般的です。地主神としてもっとも多いのが、大国主神(おおくにぬしのかみ)です。

写真撮影:2009年02月17日

やぐら

バス停十二所神社下車 徒歩2分
地図
やぐら
やぐら

 石製の祠が2基。やぐらの中に置かれていました。
 左側が疱瘡神、右側は宇佐八幡の石製祠です。
 疱瘡神は、医学が発展していなかった時代、疱瘡・天然痘を擬神化した悪神です。病気をもたらす神様ですが、神様の怒りを鎮めて祟りを恐れて祀っていたりしました。
 宇佐八幡は、大分県の宇佐神宮です。鶴岡八幡宮と同じ、八幡宮です。
三浦半島観光地図:鎌倉市雪ノ下・鶴岡八幡宮

写真撮影:2009年02月17日

バス停十二所神社下車 徒歩2分
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崖

 十二所神社からは、天園ハイキングコースに行くことができます。この崖のようなところを上っていくと、天園ハイキングコースに繋がっているらしいんだけど・・・。すでに朝比奈切通を通ってきていてヘトヘトに疲れているので、先には進みませんでした。
 ここから登らなくても、普通の道路から入れる場所があったはずです。
 牛蒡ガ谷ルートと、番場ガ谷ルートで、天園ハイキングコースに行くルートがあると思う、たぶん。資料が古いので現在は違うかもしれないけど。
 十二所神社の周辺は、数年前まで藁葺き屋根の民家もありました。十二所神社の拝殿も、かつては藁葺き屋根でした。
 十二所神社の西側には、「牛蒡の井」と呼ばれる古井戸もあるみたいです。

写真撮影:2009年02月17日
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