三浦半島身近な図鑑 > こころコミュニティー > 誕生日・誕生花・誕生石占い > 12月7日生まれ
個性的ながら広い心を持った、感性の鋭いクリエーターです。 ユニークな個性と発想力、そして大きな度量を併せ持っています。人に対しても、一風変わった個性を好みます。 自分の才能を受け入れてくれる人に出会えれば、能力を大きく開花することができます。しかし、個性の強さを理解されないと、孤立して殻に閉じこもってしまいます。 臆病がらずに、他者と面と向かって向き合うようにすることが、幸運を呼び込みます。 自分を抑えられない、社会不適合者です。 世間を全面的に肯定できない、社会不適合者です。望まれることと、自分の望みに折り合いをつけることができません。 人とは違う自分に誇りを持ってしまっているので、軌道修正はかなり難しいです。
心を許せる人になら甘え上手なタイプが多く、親しい間柄になれば関係は良好です。 純粋であるがゆえに、相手に感化されやすく、染まりやすいので注意が必要です。 直観力が鋭いのでスピード婚が多く、出会って3ヶ月くらいでその後の付き合い方がだいたい決まります。
仕事と収入の折り合いを着けられれば、生涯、金銭的に不自由することはありません。
繊細な性格なので、精神的トラブルが原因のアレルギー疾患に注意してください。
サンタンカ(Ixora)。
私をみつめて。
アカネ科の常緑低木です。 濃緑の葉に真紅の花、いかにもトロピカルな雰囲気を持った花です。 アジアからアフリカの熱帯地方に自生し、熱帯樹林を鮮やかに彩ります。黄色、オレンジ色、白色、ピンク色など、花色のバリエーションは豊富で、とても多くの種類があります。 水揚げが悪いので、鉢花として親しまれています。
人との出会いによって、磨かれていく人です。 結婚しても、主婦・主夫にはならず、家庭に閉じこもる生活は避けた方が良いです。
ヘキサゴナルを示すルビー原石(Ruby)。
自然美、素直な生き方。
雪がたくさん振るという意味の「大雪」と呼ばれることになります。北国や山岳地帯では、雪の便りが続々と届きます。 雪は純粋、盲目、空白、幾何学的結晶の形から反有機的生命、溶けることから生命の再生を意味しています。黒いコートの肩の上に舞い降りた雪の結晶は、形の不思議さ、自然の織りなす仕事に感嘆してしまいます。このまま時を止めておきたいと思うほど美しいのに、すぐに溶けてしまい、はかない気持ちにさせられます。 ヘキサー6を意味する六角形ヘキサゴナルな雪と同じ結晶を示すのが、ルビーの結晶原石です。地中から生まれた自然の不思議さを感じさせます。赤い色の暖かな結晶のジュエリーになります。
5大宝石のひとつ、ルビー。 結晶は六角形の柱状、雪の結晶と同じヘキサゴナル(ギリシャ語で六角形のコト)を示します。 安定した形、自然のなせる美しさを感じさせます。 原石をそのまま生かした使い方を、工夫してみると良いでしょう。
思いを常に未来に向けて、現在を享楽的に楽しむ人生訓を持った人です。 仕事も恋愛もゲームの一環と、冷たく割り切っています。そのため、恋人には不誠実で、ロマンチックに欠けています。 現実・現在を直視して、大切にするべきです。 ヘキサゴナルを示すルビーの原石は、恋の現実を再確認させてくれるパワーを秘めています。
1878年、与謝野晶子(作家) 1948年、森下洋子(バレリーナ) 1954年、古舘伊知郎(アナウンサー) 1965年、香川照之(俳優) 1966年、伊藤かずえ(女優) 1975年、ドランクドラゴンの鈴木拓(お笑い芸人) 1994年、羽生結弦(フィギュアスケート選手)
●孤児院開設 1798年(寛政10年)。スイスの教育者・ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチが、戦火が収まらぬスタンツ地方に乗り込み、孤児院を開設しました。 ●伊能忠敬の日本地図 1800年(寛政12年10月21日)。伊能忠敬が日本地図の作成を開始しました。 ●神戸開港記念日 1867年(慶応3年)。美しい洋館や夜景で知られるエキゾチックな街、神戸。昔から兵庫港と呼ばれ、瀬戸内海の海上交通の要所として栄えました。幕府に港を開くことを要求し、鎖国の眠りから覚ませたのがペリーです。1867年(慶応3年)の今日、神戸港が外国に向けて開港されました。現在の暦に直すと、1868年1月1日になります。同時に大阪の町も開市され、商人だけが出入りを許されました。神戸ではいち早く海外の文化を取り入れ、横浜と並ぶ国際港として栄えました。そのため、神戸を歩いていると、外国の雰囲気が味わえます。 ●クリスマスツリーの日 1886年(明治19年)。横浜で外国人船員のためにクリスマスツリーが飾られたことに由来しています。 ●ラグビー国際試合 1901年(明治34年)。横浜公園で、慶應義塾チームと外国人チームとで、ラグビーの試合が行われました。35対3で、慶應義塾チームは大敗しました。外字新聞には、「次の試合までには、もっと大いにビーフステーキを・・・」と書かれてしまいました。 ●真珠湾攻撃 1941年(昭和16年)。日本時間では1941年12月8日未明、日本海軍がハワイオアフ島の真珠湾に奇襲攻撃を行いました。休日である日曜日を狙って、航空機と潜航艇によって攻撃しました。マレー作戦に次いで開始された作戦で、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を喪失しました。 ●昭和東南海地震 1944年(昭和19年)。東海道沖で東南海地震が発生しました。マグニチュード7.9、死者・行方不明者は1223人、建物全壊36520件に及びました。この地震によって、軍需工場に大被害が出たことによって、太平洋戦争での日本の敗北が早まったとも言われています。 ●貧乏人は麦を食え 1950年(昭和25年)。池田勇人蔵相が、「所得の多い者は米本位、少ない者は麦本位」と発言し、問題となりました。ほかにも「中小企業者がヤミ行為などを行っていたために倒産したり、自殺するようなことがあっても、気の毒だがやむをえない」などの問題発言があります。