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真勝寺


真勝寺

JR久留里駅下車 徒歩12分
地図
真勝寺
真勝寺

 赤い屋根瓦が印象的なお寺。朱塗りの屋根瓦なのかな?
 山号は久留里山。禅宗の曹洞宗のお寺です。
 元々の久留里城はこのあたりにあったそうです。上の城(うえのしろ)として寺伝に伝えられています。このお寺の山門は、当時の城の城門だったとのこと。
 実際に山門の作りを見てみると、だいぶ新しいもののように見えますが・・・

写真撮影:2007年03月11日

真勝寺

JR久留里駅下車 徒歩12分
真勝寺
真勝寺

 立派な彫刻に、信玄餅と同じマークが!!ちょうど今年の大河ドラマは、『風林火山』。武田菱の家紋を見ると、気になりますね。
 調べてみたところ、1540年(天文9年)、武田一族の勝真勝の開基によるものだとのこと。勝真勝は、すぐろまさかつと読みます。
 上総武田氏は、千葉氏が北総を舞台として分裂闘争を繰り返している間に侵入し、領地を拡大していきました。
 上の城の遺構は、現在でも山中に残されています。

写真撮影:2007年03月11日

梵鐘

JR久留里駅下車 徒歩12分
梵鐘
梵鐘

 立派な梵鐘。旅行の記念に鐘を突いてみたかったんだけど、ほぼ間違いなく怒られると思うので、グッとこらえて我慢しました。
 鐘楼(しょうろう)は、鐘撞堂(かねつきどう)、釣鐘堂(つりがねどう)とも呼ばれます。
 初期の寺院では、金堂や講堂の左右に、経典を納める経楼・経蔵、または太鼓を納める鼓楼として建てられました。平安時代には楼閣建築となり、鎌倉時代には現在の形となりました。

写真撮影:2007年03月11日

真勝寺

JR久留里駅下車 徒歩12分
真勝寺
梵鐘

 観音堂でしょうか?なんとなく雰囲気的に観音堂かなーなんて思ったんですが。地蔵堂とか?
 事前に下調べをしてなかったので、良くわかんなくて。

写真撮影:2007年03月11日

黒田直養の墓

JR久留里駅下車 徒歩12分
黒田直養の墓
黒田直養の墓

 久留里城城主の黒田直養(くろだなおなか)の墓です。
 3基のお墓が並んでいました。どのお墓が黒田直養のお墓なのか、良くわかんない(^^ゞ。もしかしたら3基とも、黒田直養のお墓なのかもしれない。
 久留里藩最後の藩主となった黒田直養の墓です。黒田氏の久留里藩政は、1742年(寛保2年)、黒田直純(くろだなおずみ)が上野国沼田(現在の群馬県)から3万石で入封したところから始まります。
 黒田直純が入封した頃の久留里城は何もない荒城で、幕府は直純に土木費用として五千両を与え、城を築くように命じました。城普請は1743年(寛保3年)8月から始まり、1745年(延享2年)5月に完成しました。
 以後、黒田直養うが明治維新を迎えるまで久留里を支配しました。

黒田氏略系図
直邦┳直純@
  ┗直亨A┳直英B━直温C
      ┗直方D┳直候E━直和G
          ┣直静F
          ┗直古(直吉)━直養H
写真撮影:2007年03月11日

杉木良太郎の墓

JR久留里駅下車 徒歩12分
杉木良太郎の墓
杉木良太郎の墓

 いやー、驚きましたよ、時代劇で有名な「杉良太郎」様が、いつの間に亡くなったんだろうと思って!ところが良く見てみたら、「杉木良太郎」って書いてあった!!紛らわしいなぁ〜、まったく(^^ゞ
 地面がぬかるんでいるのは、前日の雨のためです。かなり降ったので・・・
 久留里藩士杉木良太郎は、1868年(慶應4年)閏4月、官軍が久留里へ進駐した際、一人で抵抗しようとしました。しかし久留里藩を守ろうと考え制止させようとした父に斬られてしまいました。
 父子共、久留里藩のためと考えてこうなってしまった、悲劇の話です。日本各地に同様の話が伝わっていますね。

写真撮影:2007年03月11日

溜め池

JR久留里駅下車 徒歩12分
溜め池
溜め池

 たぶん溜め池だと思う・・・。庭園としての池だったら、四角形ではないと思うので。
 真ん中には小島が作られていて、丸太2本で繋がっていました。もちろん渡りませんでしたよ、滑って落ちるのが目に見えていたので(^^ゞ
 だってこの丸太、コケだらけで見るからにツルツル滑りそうなんだもん。
 真勝寺境内の山の斜面には、久留里藩黒田家7代目の黒田直静(くろだなおちか)の時代に掘られた水道の横穴が現在も残っています。
 この溜め池もそれに関連するものなのかな?放生池?

写真撮影:2007年03月11日

五輪塔

JR久留里駅下車 徒歩12分
五輪塔
五輪塔

 初めて見るタイプの五輪塔がありました。青銅製の五輪塔。
 台座は元々ここにあったものだと思いますが、五輪塔は最近になって造ったものではないかと思います。じっくりと見てみると、鎖で装飾をしてあったり、観音開きの扉もありました。
 塔には三重塔、五重塔、十三重塔、多宝塔、五輪塔、宝篋印塔など、さまざまな種類があります。
 その紀元は、インドで釈迦の遺骨を納めた仏舎利(ぶっしゃり)のストゥーパにあります。これを音写して卒塔婆(そとば)・塔婆(とうば)といいました。現在でも、お墓に建てられている塔婆はストゥーパを簡略化したものです。
 五輪塔は仏教で説く物質の構成要素、地・水・火・風・空を象徴しています。下から方形、円形、三角形、半円形、宝珠形の部材を積み上げ、それぞれの形の前面に梵字を刻みます。
 石造が一般的ですが、一部には金属製、木製があります。中世以降は墓石としても多様されました。

写真撮影:2007年03月11日

石造仏たち

JR久留里駅下車 徒歩12分
石仏
石造仏たち

 やっぱりどこに行っても気になるのが、石仏たち。その土地ごとに、微妙に造りが違っていたりして、見ていて飽きないんですよねー。
 一番気になるのは、やはり真ん中に建っている石造仏です。

写真撮影:2007年03月11日
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