|
極楽寺
|
山号は霊鷲山、寺号は感応院極楽律寺といいます。
真言律宗の寺院です。
13世紀ごろ、浄土宗、日蓮宗、禅宗などの新しい仏教の動きが活発になり、武士や一般の人々にもわかりやすく説かれていきました。それに対して、釈迦在世中の教えを改めて守ろうと、仏の示した決まりや教えを厳しく行い、生活で実践することが仏に近付く道だと説いたのが真言律宗です。
建立は1259年(正元元年)、開山は忍性菩薩、開基は北条重時です。
開山は良観房忍性です。奈良の西大寺叡尊(えいそん)の門下で戒律を学びました。1262年(弘長2年)、北条業時(ほうじょうなりとき)に招かれて太宝寺住持となり、その後、1267年(文永4年)に極楽寺に開山として招かれました。
1259年(正元元年)、深沢に創建され、のちに開基となる北条重時(ほうじょうしげとき)が地獄谷と呼ばれるこの地に移転したと伝えられています。
元寇のときは幕府の命令によって異国降伏の祈祷を行い、幕府滅亡後にも勅命によって国家安泰を祈る勅願所としての寺格を持ちました。
重時は完成を待たずしてこの世を去りましたが、その子の長時、業時(なりとき)が協力し、忍性入山後には七堂伽藍(しちどうがらん)に四十九院を備えた大寺院となりました。中心の七堂伽藍を囲むように多くの小院、療養院などの病院しせつもありました。二重屋根の金堂、十三重の塔を始め、たくさんの塔が建つ壮大さが古い絵図に描かれています。特に十三重の塔は遠くからでも上部が見えたと言われています。
The temple was founded by Priest Ryokanbo Ninsho. He leaned
Buddhist discipline under the supervision of Priest Eison of
Nara Saidaiji.
In 1262, he was invited by Naritoki Hojo to become the head
priest of Tahoji and was then received by Gokurakuji as its
founding priest in 1267.
It is said that Gokurakuji was built in Fukazawa in 1259 and
then moved to the current location by Shigetoki Hojo, who later
became its founder.
The temple, in the event of the Mongol invasion attempts against
Japan, performed prayer to make the foreign country surrender
by order of the imperial court and, even after the Kamakura
Shogunate was overthrown, maintained the temple rank as Chokuganjo
which performed prayer for peace and stability of the country
by imperial command.
The pictorial diagrams long handed down in this temple show
that the temple premise used to be huge and that the temple
had a Shichido Garan temple structure at the center, surrounded
by many smaller temples, and medical facilities induding a hospital
as well.
1333年(元弘3年)、鎌倉攻めの戦いに巻き込まれ、焼失してしまいました。さらに、火災・地震・台風などの災害によって被害を受け、現在ではただひとつだけ残った吉祥院(きっしょういん)が本堂となっています。
往時の境内は稲村ケ崎小学校や住宅地となっていますが、1978年(昭和53年)、稲村ケ崎小学校の改築にあたって本格的な発掘調査が行われました。茶器、香炉、北条氏の家紋が付いた瓦などが多数出土し、中国産の青磁などもありました。築地(ついじ)、門や塔の跡、石積みの大基壇(だいきだん)の跡、火災による灰の層なども発見され、歴史を裏付けるものとなりました。
正面には本堂が建ち、右側には大師堂(たいしどう)と宝物館になっている転法輪殿(てんぽうりんでん)、左側に客殿と庫裏(くり)があります。
境内には八重一重咲き分けの珍しい山桜があります。夏になると、大きく枝を拡げた赤い花が美しいサルスベリもあります。
稲村ケ崎小学校の校庭の脇を通って背後の山腹に行くと、奥の院があります。釈迦の誕生日にあたる4月8日だけ公開する忍性の大きな五輪塔は、高さは約3.5mで、国の重要文化財に指定されています。忍公塔と呼ばれていた三世順忍の墓、北条重時の墓と言われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)もあります。
転法輪殿では釈迦信仰に関係のある文化財が、土日限定で公開されています。
本尊は秘仏ともなっている釈迦如来立像ですが、4月7日〜4月9日だけ公開されています。清涼寺式(せいりょうじしき)の釈迦如来像で、インド・中国を経て京都清凉寺に伝わった釈迦像をマネて作ったもので、国の重要文化財となっています。木造で髪や衣に特徴があります。
釈迦十大弟子立像は表情や姿が一体ずつ異なっており、全体的にまとまりのあるものになっています。
釈迦如来坐像はインドで釈迦が悟りを開いて初めて説法をした時の転法輪の印をしています。転法輪殿の名前の由来となっています。
忍性の弟子で極楽寺二世の栄真(えいしん)の坐像が安置され、払子(ほっす)を持ち、衣の袖を左右に広げた木造です。本堂には同じような肖像彫刻で、忍性像、忍性の師の叡尊像、江戸時代中興の恵性(けいしょう)像があります。
このほかにも、発掘調査で出土した遺物、極楽寺古伽藍図の写し、忍性が持っていた五胡鈴・五胡杵のレプリカ、新田義貞が鎌倉攻めの際に使った陣太鼓の一部などがあります。
本堂は非公開ですが、不動明王・薬師如来・文殊菩薩が祀られています。
江ノ電極楽寺駅下車 徒歩3分 |
|
|
|
極楽寺の写真 |
極楽寺を訪れるのは中学生のころ以来になるかなー、中学生のころから史跡巡りをしているんです(^_^;)
江ノ電極楽寺駅のすぐ裏側になります。
駅名にもなっているし、ドラマや映画にも登場する有名な寺院ですが、そんなに大きくはありません。
かやぶき屋根の山門が情緒があって美しいですね。
詳し事はわかりませんが、山門が閉まっていることもあるみたいです。
あまり観光地化したくないというお寺側の考えがあるのかもしれません。
山門の写真ばかりが何枚も・・・
だって、境内は撮影禁止なんだもん、写真が撮れるのは山門まで。
思いっきり逆光になってしまうので、クッキリとした写真は撮れないですねー。
写真が白くなっちゃったので補正してみたんですが、ちょっと無理っぽいです。
山号の霊鷲山の山号の扁額が掲げられていました。
境内の写真は撮影できないので、ココまでが限界でございます。
いつもホームページの写真を撮るために見て回っている感じなんですが、純粋に史跡巡りを楽しむのも面白いなーなんて思いました。
山門の脇に掲げられていた案内看板です。
とても分かりやすく書いてあるし、内容も詳しいので、秀逸な案内板だと思います。
境内の写真が撮れなかったので、代わりに朱印をいただいてきました。
最近は朱印集めが流行しているみたいなんで、自分もちょこっとだけ再開してみました。
オリジナル朱印帳もあるみたいです。 |
|
|
|
|
|