大きくて立派な灯篭です。擬宝珠と笠の部分だけ、色が違う。石材の種類が違うのかな?
1308年(延慶元年)、後醍醐天皇の息子として生まれました。
1325年(正中2年)、天台宗の門跡を継承し、門主となりました。1327年(嘉暦2年)〜1330年(元徳2年)、天台座主になっています。武芸を好み、日頃から鍛練を積んでいました。
1331年(元弘元年)、後醍醐天皇が2度目の鎌倉幕府討幕運動の元弘の乱を起こすと、還俗して反幕勢力として参戦します。
討幕の功労者足利尊氏とは仲が悪く、討幕後も上洛せず信貴山(現在の奈良県生駒郡平群町)を拠点に尊氏を牽制します。建武の新政で、護良親王は征夷大将軍となり、足利尊氏は鎮守府将軍となりました。
その後、足利尊氏暗殺のため兵を集め辻斬りを働いたりしました。その結果、征夷大将軍を解任され、1334年(建武元年)、皇位簒奪を企てたとして、後醍醐天皇の意を受けた名和長年、結城親光らに捕らえられてしまいます。足利方に身柄を預けられて鎌倉へ送られ、鎌倉将軍府にあった尊氏の弟足利直義の監視下に置かれました。
1335年(建武2年)、北条時行の中先代の乱が起き、関東各地で足利軍が北条軍に敗れ、二階堂ガ谷の東光寺に幽閉されていた護良親王は、時行に奉じられる事を警戒した直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されました。
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