1800年(寛政12年)に建てられた庚申供養塔。作られる年代によって、石塔の形状であったり、彫刻される造形物は変化していきます。それぞれの地域や年代によって、流行があります。
一段高い場所にある畑の土に押されて、台石からズレてしまっています(^^;)
庚申の日の夜には、体内にいる三尸(さんし)の虫が、人が眠ると天に上り天帝にその人が日頃している悪事を告げると言われています。三尸は、中国の道教の説からくるとされていますが、四つ足で、イヌのような姿をしていると言われています。
三尸から罪を聞いた天帝は罰として、その人を早死にさせるといわれ、長生きするために村の講単位などで、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習があります。
庚申信仰は、日本国内では室町時代のころから仏教的な色彩を帯び、庚申供養塔などが造立されるようになりました。江戸時代になると庶民にも広まり、村などで講組織と結びついていきました。
講仲間などと共に、徹夜で庚申の祭事を営むことを庚申待ちと呼ばれ、次第に定着していきました。 |