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埼玉県蕨市史跡巡り・観光名所案内


埼玉県蕨市史跡巡り・観光名所案内

埼玉県蕨市の史跡巡り

 

 埼玉県蕨市に行ったときに史跡巡りをしました。
 面積では、日本最小の市で本当に小さいです。逆に人口密度は全国一です。江戸時代には中山道の宿場町として栄え、江戸末期には、高橋新五郎が高橋機を発明し、木綿織物の町として栄えました。

長泉院の宝篋印塔

長泉院の宝篋印塔

 山号は甘露山、宗派は真言律宗、江戸湯島・霊雲寺の末寺です。
 1753年(宝暦3年)創建され、本尊は大威徳明王。檀家をもたない祈願寺(一橋家)で円実(えんじつ)という沙弥(しゃみ)が創建したことから、「おしゃみ」という通称で知られています。
 お墓もなく、お寺っぽくない建物のお寺でした。


蕨市立歴史民俗資料館

蕨市立歴史民俗資料館

 ココのすぐ隣には、蕨本陣跡があります。
 機織り機などが展示されていますが、2Fでは、歴史とは無関係の展示がされていました。館長さんの趣味だそうです。


和楽備神社

和楽備神社

 祭神、誉田別尊(ほんだわけのみこと)ほか八柱。例祭10月15日、旧村社。
 戦国時代の後期、蕨城主渋川氏が勧請したものと伝えられます。江戸時代は「蕨八幡」と呼ばれ、合祠前は八幡社と称して成就院持でした。
 のち1873年(明治6年)年4月、村社になって、蕨宿の総鎮守となりました。同44年12月14日、氷川神社など18社を合祠して社号を「和樂備神社」と改称しました。その語字から縁結びの神様とも言われます。
 平成9年、社殿が再建されました。
 火事で焼けてしまって再建したそうで、とてもきれいな神社でした。


和楽備神社の宝篋印塔

和楽備神社の宝篋印塔

 1801年(享和元年)、蕨三社の敷石供養のために作られたものです。
 基礎から上が、円筒形や八角形をしており特異の形式をしています。基礎上段に正面に飛天、左右側面に麒麟が線刻されています。


蕨城跡

蕨城跡

 南北朝時代に渋川氏が館を構え1524年(大永4年)、北条氏綱により破壊されたと伝えられています。
 幕末の絵図によれば、微高地上に約12mの幅の堀と、約8mの幅の土塁をめぐらした約12220平方メートルの規模の城だったそうです。
 しかし、実際のところ、発掘調査されたわけでもなく、具体的な場所や規模もわかっていません。


三学院

三学院

 山号は金亀山極楽寺三學院、宗派は真言宗智山派。
 創立年代は不詳ですが、元亀年間(1570年〜1572年)以前の開創と思われます。
 本尊は十一面観世音菩薩立像で平安中期の面影があり、慈覚大師の作と伝えられています。丈は1.65m(5尺5寸)で一木造の金箔塗りです。
 1591年(天正19年)、徳川家康より御朱印20石を受領し、歴代の将軍から保護されました。朱印状は13通現存。当寺は新義真言宗の古刹であり、近世以前から関東七ヶ寺の一つとして、また江戸時代には関東十一壇林の一つとして新義真言宗僧侶の教育機関を果たしていました。
 かなり大きなお寺でした。


三学院の三重塔

三学院の三重塔

 黄金色に光輝いて、とても綺麗な三重塔です。総工費が2億円ほどかかったそうです。なかなか立派なものです。


三学院の子育地蔵

三学院の子育地蔵

 1694年(元禄7年)に建立されました。高さ2mの石造立像です。
 もとは、中山道に面した三学院入口にありましたが、明治以降に門前に安置されました。昔から、火伏、子育て、開運を願う近郷の人々に信仰され、毎月4の日には地蔵市と呼ぶ縁日が開かれます。
 三学院にはこの他にも、阿弥陀一尊画像板碑、六地蔵石仏、宝篋印塔、梵字馬頭観音塔、目疾地蔵などがあります。

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