『岩槻にすぎたるものがふたつあり、児王南柯と時の鐘』
『三成にすぎたるものがふたつあり、島左近と佐和山の城』
1671年(寛文11年)、岩槻城主阿部伊予守正春が渡辺正次に鋳造させて城内・城下の人々に時刻を知らせました。その後ヒビが多く入り音響が悪くなったので、1720年(享保5年)時点での城主永井伊豆守直信が江戸の鍛治小幡内匠勝行に改鋳させ、現在まで残っています。
鐘の高さ151cm、口径78cm、重さ750kg。鐘楼の北隣に住む旧藩士の子孫倉持氏により朝夕の六時に撞かれています。
なお、江戸時代にはこの鐘の音が江戸の街まで聞こえたと言われています。江戸の北郊まで直線距離でも35kmくらいあります。
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