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東京海上日動ビルディング |
JR東京駅下車 徒歩3分
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これがあの有名な保険会社、東京海上日動ですね。2004年(平成16年)10月1日、三菱財閥の東京海上火災保険と安田財閥の日動火災海上保険が合併して誕生した会社です。保険金不払い問題で、保険金を支払わない保険会社として、有名になってしまった(^^;)
1918年に完成した「東京海上ビルディング旧館」の建て替えとして、1974年(昭和49年)3月に竣工しました。「東京海上日動ビルディング本館」と呼ばれています。地上25階、塔屋2階、地下4階で、高さは99.7mになります。
超高層ビルに分類されると思いますが、現在の丸の内周辺には超高層ビルが立ち並ぶようになったため、あまり目立たないビルになりました。それまでは丸の内周辺で、一番のノッポビルだったと思います。外壁も茶色いレンガ造り調なので、目立ちますね。ブロックを積み上げたような外観をしています。
1930年に完成した「東京海上ビルディング新館」の建て替えとして、1986年(昭和61年)12月に竣工したのは、「東京海上日動ビルディング新館」と呼ばれています。新館の方は残念ながら、写真を撮れませんでした。 |
写真撮影:2008年04月06日 |
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東京海上日動ビルディング |
JR東京駅下車 徒歩3分
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建設の際には、皇居のすぐ近くに超高層ビルを建てることから美観論争・高さ制限論争が勃発しました。
これまで丸の内周辺では、戦前の美観地区規制と、1964年(昭和39年)以前の規制により100尺(約31m)の高さ制限ギリギリのビルが整然と立ち並ぶ景観が造られてきました。東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)が1966年(昭和41年)に東京都へ提出した前川國男の建築確認申請書では30階建て・高さ127.768mの超高層ツインタワーが建つことになっていました。しかし東京都がこの建築申請を却下したため、皇居周辺の美観地区指定を巡る論争や、皇居の周りに皇居を見下ろすようなビルを建てることの是非をめぐり対立が起こりました。
1967年(昭和42年)却下された処分は取り消されました。そして採取的には、ツインタワーは採用されず独立したビル1棟となり、30階建て・高さ127.768mからてを25階建て・高さ99.7mに変更されました。
1970年(昭和45年)に工事が始まり、総工費約131億円をついやし1974年(昭和49年)に竣工しました。 |
写真撮影:2008年04月06日 |
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建て替え前の東京海上ビルディング。建て替え前の方が、モダンで美的な建物ですよね。
東京海上火災保険は東京市麹町区八重洲町の三菱第2号館(現在の明治生命館)に本店を置いていましたが、業務拡大によって手狭となったため現在地に本社ビルを建てました。1914年(大正3年)に工事が始まり、1918年(大正7年)に竣工しました。「東京海上ビルディング」と命名され、日本で始めて建物の名称に「ビルディング」と名付けられました。地上7階建てのオフィスビルです。
その後、隣接する敷地には新館が建設され、新館は「東京海上ビルディング新館」と呼ばれたため、「東京海上ビルディング旧館」と呼ばれるようになりました。
1966年(昭和41年)、東京海上ビルディング旧館は、東京海上日動ビルディング本館への建て替えのために取り壊され増した。この時、振動実験・破壊実験・火災実験が行われました。
1986年(昭和61年)、東京海上ビルディング新館も東京海上日動ビルディング新館に建て替えられました。
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写真撮影:2008年04月06日 |
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