戒(かい) |
梵語『シーラ』の訳。仏教教団に入ったものが守らなければならない倫理。 |
開基(かいき) |
1.寺院または宗派を創立すること
2.または創立した僧。開山。
3.宗派により、開基と開山の意味が違い、禅宗では大壇越(だいだんおつ、壇那(だんな))を開基、僧を開山と呼び、真宗では親鸞を開山聖人というため、末寺の創建者を開基といいます。 |
開眼(かいげん) |
目玉を開くこと。新しい仏像を造ったとき、それを祭って法界を行い、仏の霊を迎えることを開眼供養といいます。 |
開山(かいさん) |
寺院を開いた僧に対する敬称。もとは、山谷を開いて堂宇を造ったことから開山の名ができました。 |
貝塚(かいづか) |
1877(明治10)年、貝類の研究のために来日したアメリカの動物学者エドワード・モースは、東京の大森駅の近くの崖に白い貝殻の層を発見し、古代の遺跡を突き止めました。
貝塚は、食料として採取された貝の殻が堆積したもので、貝塚遺跡からは、竪穴式住居跡、動物の骨や人骨、土器、石器などが発掘されています。 |
回遊式(かいゆうしき) |
庭内を歩きながら観賞する庭の形式。鎌倉・江戸時代の庭園に多いです。 |
鏡(かがみ) |
九州北部の弥生時代の甕棺(かめかん)には、中国製の鏡が副葬されていました。古墳時代になると、大王や豪族たちの権威を象徴する宝器としてますます尊重され、後漢から南北朝時代にかけての鏡が古墳に副葬されています。それらを模倣した国産品(ホウ製鏡)も、次第に多くなっていきます。姿見(すがたみ)として実用されたものではなく、農耕祭祀儀礼や呪術的権威を持つ政治担当者を象徴したものであると考えられています。
写真は、奈良県天理市の黒塚古墳(古墳時代前期)から出土した、三角縁陳是作銘四神四獣鏡(さんかくぶちちんぜめいししんしじゅうきょう)。 |
垣根(かきね) |
銀閣寺垣、金閣寺垣、桂垣(穂垣)、光悦寺垣などたくさんの種類があります。 |
掛物(かけもの) |
禅僧の書、墨跡や古筆切(こひつきれ)などを掛けます。1行に書いたものは特に一行物(いちぎょうもの)と呼びます。古代裂(こだいぎれ)などを使った表装(ひょうそう)も鑑賞の対象となります。
出来のよい物に対しては「いい仕事してますねー」と言います。 |
月光菩薩(がっこうぼさつ) |
薬師如来の脇侍です。薬師瑠璃光浄土における代表的な菩薩です。
日光菩薩は、光明のあまねく際限のない徳をつかさどります。月光菩薩は、月のような清涼の法楽をもって衆生に生死の煩悩(ぼんのう)を離れさせるはたらきをします。 |
枯山水(かれさんすいorかれせんずい) |
水を用いずに砂と石、植木などで山水を表現した庭。室町時代中期以前禅宗の影響のもとに発達しました。 |
乾漆(かんしつ) |
脱活(だっかつ)乾漆と木心(もくしん)乾漆があります。
脱活乾漆は塑像の原型に麻布を漆で張り重ね、塑土を取り去り、線部は木粉に漆を混ぜたもので仕上げます。木心乾漆は木の心木に木粉と漆を混ぜたもので仕上げます。いずれも、天平時代に流行しました。 |
貫主(かんじゅ) |
天台座主のこと。各宗総本山の管長、あるいは諸大寺の住職に対する敬称としても使います。 |
勧請(かんじょう) |
1.神仏の来降をこうこと。
2.神仏の分霊を将来して祭ること。 |
勧進(かんじん) |
人々を教化して念仏を勧め、善根を積むためという名目で浄財の喜捨を勧めること。 |
観音菩薩(かんのんぼさつ) |
正しくは観世音(かんぜおん)菩薩、または観自在(かんじざい)菩薩といいます。普通に観音という場合は聖(しょう)観音を意味し、他に変化(へんげ)観音として、如意輪(にょいりん)観音・十一面観音・千手観音などがあります。
意味は、衆生が救いを求める声を聞くと、自在にそれを救う菩薩ということです。衆生に現世利益の救済を施す存在です。
天衣というショールのようなものを身につけ、胸飾・腕輪・瓔珞(ようらく)などで身を飾り、蓮華座の上に立っています。 |
魏志倭人伝(ぎしわじんでん) |
中国の歴史書『三国志』のうち『魏書(ぎしょ)』の東夷伝倭人条(どういでんわじんのじょう)。一般に「魏志倭人伝」といわれています。『三国志』は、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争った3世紀の歴史をまとめたもの。倭人条に、邪馬台国の記録があり、倭人の生活についても述べられています。日本では、弥生時代末期にあたります。 |
貴人口(きにんぐち) |
躙口に対し、貴人用にもうけられた障子の入口。 |
夾侍(きょうじ) |
仏像の左右に侍立し、中尊と合わせて三尊仏といいます。文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)は釈迦三尊、観音・勢至は阿弥陀三尊、日光・月光は薬師三尊を構成します。 |
経塚(きょうづか) |
末法(まっぽう)思想の影響で、貴族たちは経文(きょうもん)を容器(経筒・経甕)に入れて、土中に埋置する経塚を営みました。経典を後世に伝え、その作善(さくぜん)行為によって、極楽往生を願う経塚設置は、11〜12世紀に全国で流行し、中世にも続けられました。 |
玉眼(ぎょくがん) |
仏像の目を内側からくりぬいて水晶かガラスをあて、その裏側に瞳を描いた紙や布を木で押さえてあります。表面から刻んだ目を彫眼(ちょうがん)といいます。 |
截金(きりかね) |
細く切った金箔で文様を描く技法。 |
金印(きんいん) |
1784年、博多湾にある志賀島(しかのしま)で、甚兵衛(じんべえ)という農民が金印を発見しました。重さ109g、2.34cm四方で、「漢委奴国王」の5文字が刻まれています。『後漢書(ごかんじょ)』に記録されている、後漢の光武帝(こうぶてい)が倭奴国(わのなこく)に57年に与えた金印であると考えられています。 |
九山八海(くせんはっかい) |
仏教の世界観で、中心になる須弥山(しゅみせん)と一番外側で鉄囲山(てっちせん)とのあいだに七金山、八海水があります。これを岩石で表現したもので、須弥山石組ともいいます。 |
管玉(くだたま) |
古墳から出土する首飾り。
写真の管玉は、福島県いわき市の平窪諸荷遺跡(ひらくぼもろにいせき)から発掘されたもの。 |
九品(くほん) |
極楽浄土の9等の階位。上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)の3品にそれぞれ上生(じょうしょう)・中生(ちゅうじょう)・下生(げじょう)の3等があるため往生するものは生前の行いで9等に分けられます。このため阿弥陀如来の印相は9種類あります。 |
組物(くみもの) |
ほぼ正方形の斗(ます)と、横長材の肘木(ひじき)で、上部材の荷重を受ける構造材。この組み合わせで軒先などのせり出した重みを受けます。1つせり出したのを出組(でぐみ)、2つを二手先(にてさき)、3つを三手先(みてさき)、鶏の羽根の部分を手羽先といいます。軒まわりの装飾効果もあります。 |
庫裏(くり) |
お寺の台所。 |
懸魚(げぎょ) |
棟大の端の飾り。魚の形をした、叩くヤツじゃないよ。 |
化粧屋根裏(けしょうやねうら) |
天井板を張らず、屋根裏の構造をむき出しにしたもの。舟底(ふなぞこ)天井と同じ。 |
桁(けた) |
柱の上方にあってタルキを受ける材。また桁の通っている方向の長さ(間口)を桁行(けたゆき)といいます。 |
間(けん) |
建物の正面の柱と柱のあいだを間といいます。側面の柱間を面(めん)と呼びます。建物の大きさを言い表す方法で正面5間、側面3面の柱間であれば5間3面といいますが、実寸は表しません。 |
遣隋使(けんずいし) |
第1回の遣隋使は600年、以後607、608、614年に使者を派遣しています。607、608年の使者は小野妹子(おののいもこ)で、留学生も派遣しています。608年、隋の使者が妹子と一緒に日本に来ました。 |
絹本(けんぼん) |
絵が描いてある生地が絹で出来ているもの。紙の場合は紙本(しほん)。 |
庚申塔(こうしんとう) |
道ばたに建っている石造の中でも、もっとも良く見掛けるものの1つです
人の体内にいる三尸(さんし)の虫が、60日毎にまわってくる庚申(参照・紀年法の干支)の夜、天に昇ってその人の罪過を天帝に告げるため、命を縮められるという中国の道教の教えがあります。そこで、庚申の夜には言行を慎み、健康長寿を祈念する信仰遊戯が行われるようになり、庚申講が結ばれるようになりました。
庚申講や、庚申塔造立は人の延命招福にありますが、講中の者が徹夜で酒食をとることから、村民の連帯にもつながりました。
沖縄をのぞく全国で造立され、阿弥陀、青面金剛(しょうめんこんごう)、猿田彦(さるたひこ)神、猿などが浮き彫りされています。 |
光背(こうはい) |
三十二相の1つである仏から発する光を表しています。
頭の後方にあるのを頭光(ずこう)といい、一般的に円形で、中央に蓮華文(れんげもん)を作ります。火焔が宝珠形となる宝珠光、丸い輪郭だけの輪光(りんこう)、放射状の線を出す放射光(ほうしゃこう)などもあります。身体の背後の光は身光(しんこう)といい、頭光と身光を合わせて二重円光(にじゅうえんこう)といいます。さらに外側に大円を持つものを大円光(だいえんこう)と呼びます。炎を形取った光背を火焔光(かえんこう)といい、不動明王の火焔は特に迦楼羅焔(かるらえん)といいます。全身を覆う拳身光(きょしんこう)には舟形光背(ふながたこうはい)が多いです。 |
向拝(こうはいorごはい) |
社寺正面の、礼拝のための屋根の突出部。階段上にあることが多い。まれに堂側面にも付きます。 |
極楽浄土(ごくらくじょうど) |
浄土とは本来、仏・菩薩の住む国のことですが、阿弥陀如来の西方極楽浄土の信仰が流行するにつれ、極楽と浄土が同義語となりました。 |
柿葺(こけらぶき) |
杉やヒノキの皮を薄く削って重ね合わせ、うろこ状に葺いた屋根のこと。 |
五山(ござん) |
中世、幕府が臨済宗寺院を統制するために設けた制度で、最高の寺格を与えられた五山、その下に十刹(じっさつ)・諸山が列します。鎌倉時代から制定されましたが、しばしば変更されました。最終決定された1386(至徳3)年には、京都では南禅寺を五山の上位に置き、天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺を置き、鎌倉では建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺を五山としています。 |
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