祭神(さいじん) |
すべての神宮・神社には祭神があります。分類すると天つ神(あまつかみ、天神)、国つ神(くにつかみ、地神)、天皇・皇后、功臣神、渡来神(とらいしん)に分けられます。他に、珍しいものとして三種の神器の『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』、民間信仰の神として天地自然・道・屋敷・家・厄除け・福の神などを祭神とすることもあります。 |
三界(さんがい) |
迷いの世界で、欲界・色界・無色界のこと。 |
山号(さんごう) |
寺院の名に冠する呼称で、所在する山の名前で呼ばれました。のちに、平地の寺院でも山号を使用するようになりました。 |
三十三カ所(さんじゅうさんかしょ) |
観音は33に化身して人々を救うという説によって作られた観音菩薩を安置する33の霊場。
中世の観音信仰から生まれたもので、巡札者は各霊場で御詠歌を唱えます。札所というのは、巡拝者が祈願・姓名・出身地等を記した木札を打ち付けたことから生じています。
西国三十三カ所が最初に定まり、坂東(ばんどう)三十三カ所、秩父三十四カ所と定まりました。秩父のは、全部足して100になるように一カ所多くなっています。 |
三門(さんもん) |
禅寺の仏殿前にある楼門のこと。解脱(げだつ)に達する3つの門を意味し、寺が山号を用いるようになってからは、山門とも書かれるようになりました。 |
四脚門(しきゃくもん) |
主柱2本に、4本の控柱がつく門。控柱8本は八脚門(はっきゃくもん)、控柱のないのは棟門(むなかど)、正面が唐破風(からはふ)なら向唐門(むかいからもん)、側面が唐破風だと平唐門(ひらからもん)、猫型ロボットをドラえもんといいます。 |
地蔵菩薩(じぞうぼさつ) |
大地の恵みを神格化した菩薩。釈迦の入滅から弥勒(みろく)仏の下生(げしょう)までの無仏時代に宗浄済度をうけもつ菩薩として、奈良時代から信仰されるようになりました。延命・六・子育て・身代わり・とげぬき・疱瘡・いぼなどいろいろな地蔵があります。 |
七堂伽藍(しちどうがらん) |
1.金堂(こんどう)・講堂(こうどう)・塔(とう)・鐘楼(しょうろう)・経蔵(きょうぞう)・僧坊(そうぼう)・食堂(じきどう)の7種の堂宇のこと。
2.必ずしも7種の堂宇があるということではなく、堂宇が完備している意味もあります。
3.ただし、配置や名称は宗派によって異なり、禅宗では仏殿(ぶつでん)・法堂(はっとう)・三門(さんもん)・方丈(ほうじょう)・僧堂(そうどう)・浴室(よくしつ)・東司(とうす)といいます。
4.西城秀樹さんのヒット曲、「ギャランドゥ」。 |
漆箔(しっぱく) |
像に漆を塗った上に、金箔を置くこと。 |
七福神(しちふくじん) |
室町末期頃から、民間信仰として7種の福神が考えられ、福徳長寿を祈るようになったようです。
夷(えびす・恵比寿)・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・布袋の7神。福禄寿と寿老人は同体だともいわれるので、吉祥天(きちじょうてん)あるいは猩々(しょうじょう)を加えることもあります。 |
釈迦如来(しゃかにょらい) |
仏教の開祖ゴータマ・シッダルタは、釈迦族の聖者という意味から、釈迦牟尼(しゃかむに)や、釈尊(しゃくそん)と呼ばれています。悟りの域に達した釈迦は、歴史的存在としてうやまわれているとともに、仏法そのものを体現する超歴史的存在とも考えられるようになっていきました。
単独像のほか、釈迦如来を中尊とし、両脇に菩薩を従えた三尊像も造られました。脇侍の菩薩は、普通は文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)ですが、写真にある法隆寺の三尊像は、右が薬王(やくおう)・左が薬上(やくじょう)の菩薩だと伝えられています。 |
借景(しゃっけい) |
庭園外の風物を背景に取り入れる手法。 |
十一面観音(じゅういちめんかんのん) |
顔の上に10もしくは11の面を持つことからこう呼ばれています。
正面3面が慈悲、向かって右側3面が怒、左3面が牙をむき、後背1面が笑い、頂上が仏果(ぶっか)を示します。 |
縮景(しゅっけい) |
名所の風景を縮小して庭園に模写する手法。
現代版の縮景は、東部ワールドスクウェア。 |
条坊制(じょうぼうせい) |
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一坊 |
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一条 |
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二条 |
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三条 |
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条里制(じょうりせい)ともいいます。碁盤の目のように区切られた町の土地区画制のこと。平城京で言えば、所番地は、三条二坊二十八坪は、ピンク色の所になります。一辺の長さ(6町=約654m)の一区画を坊(ぼう・里)といい、南北に一条、二条、東西に一坊、二坊とし、坊はさらに6等分し、36区画にして一坪、二坪とします。地方でも、国司の役所がある国府で用いられました。 |
縄文人(じょうもんじん) |
発見された人骨から平均寿命は30才ぐらいとわかっています。短命なのは、栄養不足からくるもので、生活環境の厳しさを物語っています。
また、人骨を調べると、抜歯という歯を抜く習慣も盛んに行われていたことがわかっています。 |
縄文土器(じょうもんどき) |
アメリカの動物学者エドワード・モースが発掘した大森貝塚から縄目模様の土器が発見されたことから、縄文土器と呼ばれています。縄目模様のないものもありますが、稲作が始まる前の土器をみな、縄文土器としています。 |
将来(しょうらい) |
1.持ってくること。
2.外国から仏像・経論などを請けて持ってくること。 |
地割(じわり) |
池や島、築山、石組などの形、配置を設計すること。 |
宸翰(しんかん) |
天皇が書いた文書。 |
須恵器(すえき) |
古墳時代中期に朝鮮から渡来した工人たちによって作られはじめました。青灰(せいかい)色で、ろくろで整形し、登り窯をつかって1000度以上の高温で焼かれたもの。
西日本では実用品として、東日本では副葬品として使われました。 |
石刃(せきじん) |
ブレイド。調整された石核から連続的に打ちはがされた縦長の剥片。切ったり、削ったりに使用します。
写真は、北海道千歳市の柏台1号遺跡から出土した細石刃。 |
関守石(せきもりいし) |
露地に打たれた飛石の上に、これより先通行不可の印しに置く石。 |
摂社(せっしゃ) |
本社に付属する小規模な神社。本社に縁の深い神が祭られ、境内にあるものと境外にあるものに分かれます。 |
千手観音(せんじゅかんのん) |
正しくは千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)といいます。大悲観音と呼ばれることもあります。
頂上に11の面を持ち、千の手を持ち、それぞれの手に目を持って衆生を済度します。
奈良県唐招提寺の千手観音は実際に1000の手をもっていますが、普通は中央の2の手の他に、40の手を作り多くの持物をもっています。 |
尖頭器(せんとうき) |
木の葉形に整形された槍先。
写真は、頁岩(けつがん)製の斜軸尖頭器。 |
賤民(せんみん) |
奈良時代ごろの身分制度で、人々を良民と賤民とに大別しました。良民は貴族や役人、一般の公民。賤民は全人口の10%を占め、差別された最底辺の人たち。賤民には、陵戸(りょうこ)・官戸(かんこ)・家人(けにん)・公奴婢(くぬひ)・私奴婢(しぬひ)とあり、「五色(ごしき)の賤」といいました。陵戸は天皇の一族の墓を守る者。奴婢は奴隷で、所有者の財産とされ、家畜と同じように売買されました。 |
租・庸・調(そ・よう・ちょう) |
律令制のもとでの税制を表したもの。租は、すべての口分田(くぶんでん)に課したもので、稲で徴収しました。調は、絹・綿・布・塩などの郷土の産物。庸は、本来は労役ですが、ほとんどの場合布で徴収しました。ほかに雑徭(ぞうよう)といって、国司の権限で労働をさせたり、都で労働を課す雇役(こえき)、衛士(えじ)・防人(さきもり)兵士などの兵役がありました。 |
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