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横浜駅根岸道路


横浜駅根岸道路

京急日ノ出町駅下車 徒歩数分
地図
横浜駅根岸道路
横浜駅根岸道路

 日ノ出町交差点から、長者町方面に写真を撮りました。
 とても大きな交差点で、待ち時間が長いのに、すぐに赤に変わってしまいます。自動車の渋滞対策ですね、のんびり写真を撮っていると信号が変わっちゃうので急いで写真を撮りました。
 正式名称は、横浜市主要地方道80号横浜駅根岸線っていいます、国道でも県道でもなく、市道です。主要地方道に指定されています。横浜市ってお金持ちですね。
 通称は、横浜駅根岸道路。長者町通り、横浜道って呼ばれることもあります。根岸旭台から白滝不動尊前までの坂道は、 不動坂、馬力坂って呼ばれています。
 横浜市西区高島(国道1号)から中区根岸町(横浜市主要地方道82号山下本牧磯子線)まで。2014年4月1日時点で、路線延長は5,818mあります。

写真撮影:2009年04月01日

横浜駅根岸道路

京急日ノ出町駅下車 徒歩数分
地図
横浜駅根岸道路
横浜駅根岸道路

 日ノ出町交差点から、戸部方面に写真を撮りました。
 何を言っても言い訳に聞こえてしまうかもしれないので、正直に書きます。一番気になるのはストリップ劇場の浜劇です。1980年頃から営業しています。子供の頃、ストリップ劇場の前を通って野毛山動物園に行くのが恥ずかしかった・・・
 かつての横浜道とほぼ同じ道路で、幕末の横浜開港に際して、東海道と横浜港を結ぶために造られた街道です。
 1858年に日米修好通商条約が結ばれ、1859年に神奈川を開港することが決められました。しかし徳川幕府は、東海道で栄えた神奈川宿に港ができて外国人が入ることを嫌い、対岸の横浜村(現在の関内)に開港することに決め、横浜は神奈川の一部だと主張しました。
 当時、神奈川〜横浜間の交通はとても不便でした。帷子川河口部の岡野新田・平沼新田や、大岡川下流部の吉田新田・太田屋新田は埋め立てられていましたが湿地帯になっていました。野毛山の東側もすぐ海(現在の花咲町・桜木町)で、道らしい道すらない状態でした。そのため海路を利用するか、陸路で程ヶ谷宿から井土ヶ谷を迂回するしかありませんでした。
 幕府は神奈川と横浜を短距離で結ぶ道を造ることにしました。経路は、神奈川宿と程ヶ谷宿の間の芝生村(現在の西区浅間町、浅間神社・浅間下交差点の近く)から、当時の海岸線に沿って新田間橋、平沼橋(現在の元平沼橋)、石崎橋(現在の敷島橋)を架けて道を築き、戸部村から野毛山を越える野毛の切通しを造り、野毛橋(現在の都橋)、太田橋(現在の吉田橋)を架けて馬車道付近を通って横浜港に至る道になりました。
 工事は開港の3ヶ月前に始められ、施工主・勘七、工事監督・程ヶ谷宿本陣の苅部清兵衛らにより突貫工事にあたり、開港前日に開通しました。大規模な工事であったにもかかわらず、短期間で完成させました。
 1869年、下岡蓮杖によって吉田橋から築地へ乗合馬車が走り始めました。1872年、乗合馬車に代わって新橋〜横浜間の鉄道が開設されましたが、以前としてとても重要な道路でした。現在、横浜道の一部が新横浜通り、横浜駅根岸道路などの幹線道路になっています。

写真撮影:2009年04月01日
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