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西福寺


山門

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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山門
山門

 曹洞宗のお寺で、二楽山西福寺といいます。
 本尊は不動明王で、釈迦牟尼仏とともに祀られています。
 本山は福井県「永平寺」と、横浜市鶴見にある「総持寺」になります。
 創建は慶長2年で、もとは真鶴にあったお寺です。小田原市早川の「海蔵寺」の末寺、山号を「東向山」と称していました。
 開山は「了峰印達大和尚」と「西岸清光庵主」の二説がありますが、今は「真鶴西福寺開山 了峰印達大和尚」「真鶴西福寺開基 西岸清光庵主」としています。

 

写真撮影:2007年07月18日

西福寺

京急上大岡駅下車 徒歩15分
地図
西福寺
西福寺

 真鶴の海辺にあった西福寺は、海の安全や豊漁を祈る祈祷寺院で、檀家さんのいないお寺でした。大正12年、関東大震災で被災し、大津波で堂宇一切を流されてしまいました。再建されるのは、非常に難しい状況でした。
 その頃、山梨県巨摩郡清川村「宝勝寺」の住職「西海松喜和尚」は横浜市中区大平町「西有寺」で役僧として横浜に縁を結び、この地に大きな仏縁を感じて上大岡の丘に宝勝寺横浜説教所を開設、さらに豊川稲荷を祭って多くの信者を集めていました。
 多くの人の後押しを得て松喜和尚は 新寺建立の大請願をたて、真鶴の西福寺を上大岡の丘に移転することになりました。

 

写真撮影:2007年07月18日

西福寺

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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西福寺
西福寺

 地主の北見家の協力を得て、昭和4年に寺籍譲り受けの許可も下り、移転の功労者「原田久吉翁」の号「二楽」を山号に、新たに名前を「二楽山 西福寺」と改め、新しく西福寺この地で再出発をしました。
 松喜和尚は「西福寺中興開山」として、原田久吉翁は「西福寺中興開基」として、永代に奉られています。
 現在、西福寺は檀信徒の法務(春秋の彼岸供養、夏のお盆供養、回忌供養などの法事や葬儀)を行っています。
 奉仕活動や、旅行や観劇などの檀信徒参加行事の活動もしています。

 

写真撮影:2007年07月18日

六地蔵

京急上大岡駅下車 徒歩15分
地図
六地蔵
六地蔵

 六地蔵です。新しい六地蔵のようですね。
 数字の入る仏像や神像は意外と多くて、四天王、七福神、八部衆、十王像、十一面観音、十二神将、十六羅漢、千手観音、、、、などなど、たくさんありますね。

 

写真撮影:2007年07月18日

お地蔵様

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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お地蔵様
お地蔵様

 お地蔵様ですかねー?ちゃんと確認しなかったので、よくわかりません。外見からは、江戸時代の作品のように見えますが・・・
 六地蔵とセットで考えたほうがいいのかな?
 仏教では人間は欲界・色界・無色界の三界と、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道に、静止を繰り返すと考えられています。これを輪廻転生といいます。死者は冥界で、10人の王の裁判を受け、行くべき世界が決まるとされています。

 

写真撮影:2007年07月18日

メタボおじさん

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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メタボおじさん
メタボおじさん

 やや太り気味ですが、七福神ですね。西福寺は、七福神巡りのお寺のひとつなのかな?
 外見からは、布袋さまのようですね。布袋は中国の禅僧で、外見からは想像がつかないかもしれませんが弥勒の化身ともされています。
 七福神は、一般的には夷(恵比寿)、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の7神になります。福禄寿と寿老人がどちらか一方になって、代わりに吉祥天や猩々が加わることもあります。

 

写真撮影:2007年07月18日
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