真鶴の海辺にあった西福寺は、海の安全や豊漁を祈る祈祷寺院で、檀家さんのいないお寺でした。大正12年、関東大震災で被災し、大津波で堂宇一切を流されてしまいました。再建されるのは、非常に難しい状況でした。
その頃、山梨県巨摩郡清川村「宝勝寺」の住職「西海松喜和尚」は横浜市中区大平町「西有寺」で役僧として横浜に縁を結び、この地に大きな仏縁を感じて上大岡の丘に宝勝寺横浜説教所を開設、さらに豊川稲荷を祭って多くの信者を集めていました。
多くの人の後押しを得て松喜和尚は 新寺建立の大請願をたて、真鶴の西福寺を上大岡の丘に移転することになりました。
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