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 称名寺

称名寺 京急金沢文庫下車 徒歩12分
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称名寺
仁王門
 とっても立派な仁王門です。ひきこもりなのもんで史跡巡りも近場ばかりなんですが、こんなに立派な仁王門を見ることができるとは思いませんでした。
 迫力のある存在感に感動しましたー。
 山号は金沢山といい、真言律宗のお寺です。鎌倉時代、瀬戸入江をのぞむこの地は、六浦庄金沢(かねさわ)と呼ばれ、鎌倉と房総半島とを結ぶ要地として、北条氏が支配していました。
 鎌倉幕府の引付衆、評定衆などを歴任した北条実時(ほうじょうさねとき)が、1258年(正嘉2年)ごろに金沢の別業(別邸)内に持仏堂(阿弥陀堂)を設けたのが称名寺の発祥です。
写真撮影:2007年06月08日

称名寺 京急金沢文庫下車 徒歩12分
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称名寺
仁王門
 仁王門を裏側から見ると、こんな感じになっています。ちょっと違いますね。窓がなかったり、仁王様がいなかったりと。
 創建当初は念仏の寺でしたが、奈良の西大寺の叡尊(えいそん)に深く帰依した北条実時が、称名寺を真言律宗に改め、1267年(文永4年)に審海(しんかい)を迎えて開山としました。
 北条実時の後は、北条顕時(あきとき)、北条貞顕(さだあき)、北条貞将(さだまさ)ら、金沢北条氏累代の保護と、住職に高名な学僧を輩出したことから、大いに栄えました。
写真撮影:2007年06月08日

称名寺 京急金沢文庫下車 徒歩12分
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称名寺
仁王様
 仁王様、やっぱり怖いです・・・
 「このオレ様にデジカメを向けるとは、なんある無礼千万!!」と心に訴えかけてきます。
 執権となった北条貞顕(ほうじょうさだあき)は、称名寺の保護と拡充に努めました。その壮大な伽藍は、1323年(元亨3年)、国の重要文化財に指定されている称名寺結界図(しょうみょうじけっかいず)に描かれています。
 仁王門はつい以前までは茅葺でした。左右の金剛力士像は神奈川県の重要文化財に指定されています。1323年、仏師の院興が造立した関東最大の仁王像です。
写真撮影:2007年06月08日

称名寺 京急金沢文庫下車 徒歩12分
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称名寺
称名寺
 称名寺の綺麗な庭園。絵になりますねー。案内板を見たら、称名寺の境内の一般開放は、午後5時までなのだそうです。すでに午後5時を過ぎていたので、仁王門周辺しか回れませんでした(TωT)
 境内の庭園は池が眼前に広がり、池越しの正面には、稲荷山を背にした金堂が建ちます。
 中島を浮かべたこの池は、梵字のアをかたどった阿字池と呼ばれる浄土式庭園で、発掘調査によって結界図を裏付ける橋脚や、築成当時の池の形が明確となりました。護岸や橋などの復元整備が行われました。
写真撮影:2007年06月08日

称名寺 京急金沢文庫下車 徒歩12分
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称名寺
称名寺
 素人カメラマンが写真を撮っても、綺麗に撮影することができます。
 金堂の本尊は弥勒菩薩立像で、国の重要文化財に指定されています。1276年(健治2年)の銘がある宋風彫刻で、背後の来迎壁表裏にも弥勒菩薩が描かれています。
 金堂右手の釈迦堂の本尊は、特異な波状衣文を持つ清涼寺式の釈迦如来立像です。北条実時の33回忌にあたる1308年(徳治3年)に作られました。
 金堂右手前には、金沢八景のひとつ「称名の晩鐘」で名高い梵鐘があります。北条実時が父母の菩提をとむらうために鋳造し、子の北条顕時が改鋳したものです。物部国光、物部依光の合作による、形の整った名鐘です。もともとは、仁王門を入って右手にありました。
写真撮影:2007年06月08日

称名寺 京急金沢文庫下車 徒歩12分
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称名寺
ケヤキ
 立派なケヤキです。横浜市が名木古木指定しているケヤキの木です。
 金堂の左後方には、歴代住職の墓地があります。審海の墓と推定される五輪塔もあります。
 金堂右後方の山道を登ると、称名寺市民の森になります。稲荷山の山腹には、北条実時の墓とされる宝篋印塔があります。
 金堂左手から称名寺市民の森に入ると、五輪塔が並ぶ墓域があります。左が北条顕時、右が北条貞顕の墓と考えられていますが、逆と考える説も有効ではっきりとしていません。北条貞顕の墓と伝えられている場所からは、宋代の青磁壷の逸品が出土しています。
 熊野新宮は、称名寺の鎮守で、鎌倉末期の僧形八幡坐像が祀られていました。
写真撮影:2007年06月08日

称名寺 京急金沢文庫下車 徒歩12分
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称名寺
ケヤキ
 こちらも同じく横浜市の名木古木に指定されているケヤキです。同じ日に撮影したんですが、樹勢がずいぶん違いますね。枝ぶりだけでなく、幹の形もだいぶ違います。
 阿字池の西側には、トンネルで結ばれた県立金沢文庫があります。「文選集注」をはじめとする、古書、古文書が約2万点ほど保管されています。また、北条実時以下4代の画像など、称名寺や金沢文庫に伝来した多数の文化財を展示・保管する博物館の役割もになっています。
 金沢文庫は、北条実時が晩年に鎌倉の居館から金沢の別邸に蔵書を集めて創設したといわれています。北条実時の好学の気質は子孫にも受け継がれ、蔵書は充実し、一族や各地の武士・僧侶に使用されました。
 鎌倉幕府の滅亡により、金沢文庫も称名寺とともに衰え、蔵書の多くも散逸してしまいました。
 1930年、阿弥陀堂の跡地に神奈川県の手によって金沢文庫が復興され、1990年に現在地へと移転しました。金沢文庫は、もともと文庫ヶ谷と呼ばれるこの地にあったとされています。発掘調査の結果、称名寺に通じる中世のトンネル、それに接続する道路、建物遺構が発見されました。
 称名寺と薬王寺境内付近の高台には、縄文時代後期の称名寺式土器が出土した称名寺貝塚群があります。
写真撮影:2007年06月08日

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