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三療山医王院といい、古くは三愈山遍照坊と称しました。真言宗御室派龍華寺の末寺です。
もとは源範頼の別邸があった場所といわれ、太寧寺とともに源範頼の位牌が伝えられています。源範頼は伊豆の修禅寺で討たれたとされています。その首を鎌倉に持ち帰り、首実検の後、太寧寺に葬ったともいわれています。太寧寺の寺伝によれば、源範頼の別邸だった太寧寺まで逃れて自害したと伝えられています。
本尊は、源範頼の念持仏で行基作の薬師如来。「武蔵風土記」や「江戸名所図会」によれば、古くは大日如来だったようです。
本堂はいつの時代に建てられたのでしょうか?すぐ近くに称名寺があり、印象の薄い寺院ではありますが、それなりに見所のある寺院でもあります。 |
写真撮影:2007年06月08日 |
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やっぱり薬王寺にも、ちゃんと梵鐘がありますねー。金沢区のお寺って、それほど大きな規模のお寺じゃなくても、立派な梵鐘があるんですよねー。
金沢八景のひとつに「称名の晩鐘」がありますが、現在の晩鐘は薬王寺で打たれています。
絹本著色(けんぽんちゃくしょく)の種子両界曼荼羅図(しゅじりょうかいまんだらず)が伝えられています。横浜市の指定有形文化財となっています。
真言宗の開祖、弘法大師空海が、9世紀初めに中国から持ち帰った密教絵画の中に、両界曼荼羅がありました。
両界曼荼羅は、大日如来を中心とした諸尊の配置によって、真言密教の教えと宇宙の真理を図示したもので、胎蔵界と金剛界の二面によって構成されています。
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写真撮影:2007年06月08日 |
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弘法大師クンです。弘法大師って、歴史の教科書に出てくる「空海」のことですよ。平安時代初期の僧侶で、真言宗の開祖です。
薬王寺に伝えられる両界曼荼羅図は、いずれも仏像の代わりに、それを象徴する種子(諸尊をあらわす梵字)で表されています。この時代のものとしては、関東ではめずらしいものです。画法、種子の形状などから判断して、14世紀以前にさかのぼる優品と考えられています。
細部を見ると、赤・白・青・黄色の彩色が残り、随所に細かい切金(きりがね)が施され、荘厳な趣があります。 |
写真撮影:2007年06月08日 |
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立派な宝篋印塔ですねー。僕の身長よりもはるかに高いです。写真に納まらないんじゃないかなっていうくらい、大きな宝篋印塔でした。
やっぱりさ、大きな石塔って迫力があるよね。同じ大きさの木造建築とか見ても、特にこれといって何とも思わないんだけど。無意識の心の中に、「石は重い!」っていう印象が刷り込まれているから、大きな石塔を見ると迫力を感じるのかな?
新四国東国八十八ヶ所霊場の七十四番になります。 |
写真撮影:2007年06月08日 |
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