姿勢施行七十周年記念 横須賀風物百選
浄楽寺だ弥陀三尊像
この寺は、浄土宗に属し、「金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺」と称します。
寺伝によれば、文治元年(1185年)に源頼朝が、父義朝の霊を弔うため、鎌倉の大御堂ヶ谷に勝長寿院を建てたが、建永元年(1206年)にその寺が大風で破損したため、北条政子と和田義盛が、そこの本堂をここに移したと伝えています。また、別の説によれば、和田義盛が文治5年に建てた七阿弥陀堂の一つであるともいわれています。
この寺の本尊は、向かって中央に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩の三尊像です。いずれもひのき造り、彫眼で、鎌倉時代の代表的な仏師運慶の作と言われています。大正10年に国宝に指定されましたが、現在は、国指定有形文化財となっています。この三尊像のほかに、頼朝の守り本尊であったと伝えられる危難除けの不動明王と開運の毘沙門天の両立像が祭られています。いずれも寄せ木造り、玉眼入りで、作られた年代や作者は、三尊像と同じです。この両立像も国指定有形文化財です。これらの貴重な仏像は、現在、本堂の裏手にある収蔵庫に安置されています。
この寺に関係の深い和田義盛は、三浦大介義明の孫で、現在の三浦市和田の地に館を構えていました。鎌倉幕府の創設に功労があったので、初代侍所の別当(軍事の最高責任者)となりました。建保元年(1213年)、北条義時との勢力争いに破れ、鎌倉の由比ヶ浜で一族とともに滅びました。
収蔵庫前を、更に進んだ所に、我が国の近代郵便制度の創始者前島密翁の墓があります。翁は、晩年をこの浄楽寺境内で送りましたが、大正8年4月27日、85歳でその生涯を閉じました。
毎年4月、郵政省は、翁の業績をたたえて墓前祭を執り行っています。 |