横須賀海軍工廠の潜水艦船台です。
以下、横須賀海軍工廠で建造されたおもな潜水艦です。
・1939年(昭和14年)、伊号17潜水艦
・1939年(昭和14年)、伊号23潜水艦
・1940年(昭和15年)、伊号29潜水艦
・1942年(昭和17年)、伊号31潜水艦
・1942年(昭和17年)、伊号36潜水艦
・1943年(昭和18年)、伊号180潜水艦
・1943年(昭和18年)、伊号182潜水艦
・1843年(昭和18年)、伊号184潜水艦
・1843年(昭和18年)、伊号185潜水艦
・1844年(昭和19年)、伊号44潜水艦
・1844年(昭和19年)、伊号54潜水艦
・1844年(昭和19年)、伊号56潜水艦
・1844年(昭和19年)、伊号58潜水艦
・1844年(昭和19年)、伊号365潜水艦
・1844年(昭和19年)、伊号368潜水艦
・1844年(昭和19年)、伊号369潜水艦
・1844年(昭和19年)、伊号372潜水艦
・1845年(昭和20年)、伊号373潜水艦
1904年(明治37年)、井出謙治によてアメリカ製ほーランド型潜水艇が導入され、海軍内で潜水艦に対する関心が持たれ始めました。
1905年(明治38年)、小栗孝三郎を司令官とする第一潜水艇隊が横須賀に新設され、横須賀以外の軍港に配置されていた潜水艇もすべて第一潜水艇隊所属としました。100tに満たない小型艇だったため、多くが瀬戸内海で利用できる呉へと移動しました。
1912年(大正元年)、房総半島沖で大演習が行われました。横須賀を出撃した第二潜水艇隊(C型3隻)が、野島崎南西で給炭のため停泊中だった河内、薩摩、出雲に魚雷攻撃をする作戦が行われ、気付かれずに魚雷発射地点への侵入に成功。
1916年(大正5年)、横須賀に残った潜水艇で第二潜水艇隊を編成。1918年(大正7年)、第一潜水艇隊に改め。
1919年(大正8年)、第一潜水隊に改称。
1920年(大正9年)、潜水艦の開発は呉海軍工廠を中心に行われていたため、海軍潜水艦学校が呉に置かれました。
1944年(昭和19年)2月1日、潜水艦部が設置され、潜水艦建造と海軍への引継ぎ機能が強化されました。
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