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横須賀市池上史跡巡り・観光名所案内


横須賀市池上の歴史

横須賀市池上

 

 三浦半島の中央部、大楠山北東の丘陵地にあります。おおむね住宅地です。
 池上十字路があり、その周辺は日用品・食料品などの小商店街となっています。池上中学校、池上小学校、横須賀池上郵便局、横須賀警察署池上派出所、単立妙蔵寺、池上地域自治活動センター、消防団第11分団などがあり、鎮守は池上神社です。

 戦国時代から確認できる地名で、相模国三浦郡になります。
 『役帳』には、小田原北条氏の半役被仰付衆で山中寄子たる糟屋藤十郎の所領役高として「卅貫文 三浦 池上寺分」とあり、寄親に従って普請半役を務めるように命じられています。

 江戸時代には三浦郡の村名となっています。江戸初期には平作村の一部となっていましたが、上平作・下平作を分村したあと、平作村の一部を池上村と称するようになりました。
 元禄10年、旗本向井氏知行で、幕末には幕府領です。
 村高は、『元禄郷帳』では平作村とあり278石余。『天保郷帳』では「古者平作村」とあり278石余。『旧高旧領』でも278石余で、妙蔵寺領5石とあります。
 『三浦古尋禄』では、家数30軒余。
 『新編相模』では、江戸から16里余。村の規模は上平作村・下平作村と合わせて東西凡25町・南北26町余、家数35軒、神社は白髭社・第六天社、寺院には日蓮宗大塚妙蔵寺があります。妙蔵寺は、天正19年の朱印状に「妙蔵寺 相模国三浦郡 平佐久郷之内 五石」とあり、寺領の寄進を受けています。
 池上村は近郷8ヶ村とともに、鎌倉・浦賀往還の下平作立場助郷役を命じられていました。

 明治元年、神奈川府を経て、神奈川県に所属となります。
 明治8年、平作村の一部となります。
 昭和8年、横須賀市の町名となります。もとは衣笠村平作字牛骨・大谷戸・釜ヶ作・寺分・日当り・広尾・谷戸前です。
 昭和43年、池上、金谷、平作になりました。
 わかりづらいと思うのでまとめてみると、明治元年は三浦郡池上村でしたが、合併して平作村となり、衣笠村、横須賀市と合併したら池上町、昭和30年から池上へと地名が変遷しています。

地名の由来

 

 池の上にあったという地形由来の地名になります。現在の平作川の支流あたりまでが入り江だったことに由来しています。

 
山中町 東逸見 逸見が丘 坂本町
葉山町木古庭 池上 金谷
阿部倉 平作
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