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陸上自衛隊久里浜駐屯地


陸上自衛隊久里浜駐屯地

京急久里浜駅下車 徒歩13分
地図
陸上自衛隊久里浜駐屯地
陸上自衛隊久里浜駐屯地

 道路から「Sea Side Camp Kurihama」と見える建物が有名。駐屯地内には歴史館が併設され、旧海軍時代の装備から陸上自衛隊に至るまでの遍歴、装備が展示されています。ここは、旧海軍の通信学校でした。道路を挟んで反対側一帯は、旧海軍の工作学校などの施設でした。ビクターの工場一帯は、旧海軍軍需部の倉庫で、戦後は米軍が使用してCPC倉庫群といわれていました。
 久里浜港も大戦末期に横須賀軍港の補助的な港として造られました。戦後、浚渫などの事業を繰り返し、漁港の基地となった港です。
 現在は陸上自衛隊通信学校などが駐屯する陸上自衛隊の駐屯地。駐屯地司令は、通信学校長が兼務しています。警察予備隊発足時の2駐屯地のひとつであり、自衛隊としては最も古い駐屯地です。駐屯地のすぐ近くに海上自衛隊潜水医学実験隊があり、医官の支援を受けています。
三浦半島観光地図:横須賀市久里浜・平作川
三浦半島観光地図:横須賀市久里浜・御稜威橋

写真撮影:2008年03月15日

海軍通信学校庁舎

京急久里浜駅下車 徒歩13分
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海軍通信学校庁舎
海軍通信学校庁舎

 1938年(昭和13年)、海軍通信学校として開設しました。
 1945年(昭和20年)、終戦によって米軍が使用。一時復員局としても使用されました。のちに横須賀市が東京水産大学を誘致しています。
 1950年(昭和25年)、警察予備隊の発足と共に再び接収。総隊学校として開校。東京の越中島駐屯地と合わせ、戦後初めての駐屯地でし。
 1953年(昭和28年)、保安隊の発足と共に保安大学校に改名。
 1954年(昭和29年)、自衛隊の発足により、保安大学校が防衛大学校へ改名。同時に総隊学校は各職種学校(高射学校など)として分散し、通信学校のみ現在地に残りました。
 1955年(昭和30年)、防衛大学校が横須賀市走水へ移転。
 1960年(昭和35年)、臨時特別通信隊(のちに通信標定隊に改編、現在の第1電子隊)が編成完結。
 1983年(昭和58年)、東部方面通信群隷下部隊として第106通信運用大隊、第304搬送通信中隊が編成完結。
 2001年(平成13年)、第106通信運用大隊、第304搬送通信中隊が朝霞駐屯地へ移駐。
 2002年(平成14年)、東部方面後方支援隊隷下部隊として、通信教育直接支援中隊を新編。久里浜自動車教習所は廃止。

写真撮影:----年--月--日

73式大型トラック

京急久里浜駅下車 徒歩13分
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73式大型トラック
73式大型トラック

 後輪が2つあるので、たぶん73式大型トラック。
 製作はいすゞ自動車で、1973年(昭和48年)から調達が開始されました。2001年(平成13年)度以降は「3 1/2tトラック」として調達されています。
 73式3 1/2t大型トラックは人員及び物資輸送等に用いられる汎用キャブオーバートラックです。陸上自衛隊の車両の中では最も多く配備されています。隊内では「さんとんはん(3t半)」や「カーゴ」と通称されています。
 「3 1/2t」は悪路走行時や慎重な取り扱いを要する物品などを扱う場合の標準積載量です。これとは別に、良路の平地などを走行する場合に適用される最大積載量も設定されています。陸上自衛隊の車両呼称に重量が採用されている場合、その数値はすべて標準積載量を表しています。
 1973年からこれまでのボンネット型TSD・2トン半トラックから更新され、現在では改良型や新型を含め、更新を完了しています。ダンプトラック型や地対空誘導弾の自走発射機型、キャブ部分に各種の装備を積載したバリエーションも数多く存在します。
 「73式」と呼称されていますが、防衛庁には年号での制式化はされていません。2001年(平成13年)度以降の納入車からは「3 1/2tトラック」に変更されました。
 旧型車両の一部は海外派遣時に各部隊で防弾板の取り付け、運転席と助手席間にエアコン装置の取り付け、前照灯・速度表示灯の改良等の改良が施され、派遣終了後もその状態で使用されている車両が存在します。

写真撮影:2008年03月15日

74式特大型トラック

京急久里浜駅下車 徒歩13分
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74式特大型トラック
74式特大型トラック

 1974年に製式化された。正式名称は「7tトラック」。
 三菱ふそうのFシリーズ、ザ・グレート及びスーパーグレートを自衛隊仕様の6輪駆動のトラックに改造し、採用されました。81式自走架柱橋用のシャーシ、地対空誘導弾ペトリオットの射撃管制装置搭載車両、トレーラーを牽引するためにトラクタ型に改造を施したものなど、派生型が多数存在し運用されている。この写真の74式特大型トラックも派生型のひとつ。ヘッドライトの高さがベース車であるザ・グレート及びスーパーグレートの本来の位置よりも下げられています。
 フロントマスクやエンジン、灯火器などはベース車に準じた改良が施されています。

写真撮影:2008年03月15日

業務車1号

京急久里浜駅下車 徒歩13分
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業務車1号
業務車1号

 古いタイプの「業務車1号」。人員の輸送、簡単な物資輸送など、駐屯地内外で幅広く活躍し、広い汎用性を持つのが特徴です。
 駐屯地内で使用する他、公用で駐屯地外に出る時に使用します。職務遂行上、公用で駐屯地外に出ることの方が多いです。主にオリーブドラブ色の日産セドリックバンが使われていましたが、経年劣化と補修部品の補給の問題で平成11年度から、日産アベニールワゴンになりました。
 2003年頃から日産プリメーラワゴンや日産エキスパート、日産ウイングロードに更新されています。製造中止になったこともあり三菱ランサーワゴンやスバルレガシィワゴンなども納入されています。
 2006年から経費節用と維持管理の問題から特注色であるOD色塗装から仕様変更し、黒色塗装が仕様となっています。今後、業務車1号が更新される際には黒色が標準設定されている車種が納入されることになっています。そのため、一般の普通車の見分けるのが難しくなります。

写真撮影:2008年03月15日

73式小型トラック

京急久里浜駅下車 徒歩13分
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73式小型トラック
73式小型トラック

 すぐ近くにパジェロの新型車も止まってたんだけど、場所が悪くて写真撮影はできませんでした。他にも救急車も止まってたんだけど、こちらも場所が悪くて撮影できませんでした。
 1973年(昭和48年)に採用された自衛隊の汎用小型軍用車両。三菱自動車工業が製造し、現在は2種類の車両があります。「73式」となっていますが実際は制式化されているわけではなく、正式名称は「1/2tトラック」。
 通称、旧型は「ジープ」、新型は「パジェロ」。
 日本国内で生産されていた四輪駆動車で、1970年代当時にジープのライセンス生産を行っていた三菱自動車が、それまで防衛庁向けに生産していた、J-3系やJ-50系をベースとした1/4tトラックの後継車として、防衛庁の要求に合わせて積載量の向上を図り、ミドルホイールベースのJ-24型を改良したものです。運輸省届出の型式は、1/4tトラックがJ-54A、73式小型トラックはエンジンの違いで、J-24A / 23A / 25Aになっています。
 マニュアルトランスミッション(前進4速・後進1速)+副変速機(高・低2速)付きトランスファーを持ちます。エンジンの始動はキーで行ないますが、停止はキーを抜いただけでなく初期型から中期型まではキルスイッチで、最終型はキーオフでエンジンが停止可能。なぜかシガーライターと灰皿も標準装備。
 派生型として、60式106mm無反動砲や64式対戦車誘導弾を搭載した車両、パトライト・サイレンを搭載した緊急車両指定車両、白色塗装を行った警務隊向け車両があります。
 一部新型パジェロと共通するが車番により使用目的が異なり「01-****」は通常仕様、「02-****」は対戦車ミサイルや無反動砲等の装備火器類を搭載した車両、かつては「03-****」ナンバーの車両も存在しました。
  無線機搭載する車両に関しては、運転席及び助手席後部の席両端に跨ぐよう板状の部品を取付した後に運転席後部に無線機を取り付けています。この状態では乗員は4人乗車が基本となって運用しています。
 市販型三菱・ジープのミドルホイールベースモデルであるJ-20系はパジェロの登場で生産中止となり、ショートホイールベースのみがJ-50系として生産され続けましたが、1997年(平成9年)の生産終了に伴い、補給部品の確保の困難が予想されることから、耐用年数が規定に達した車両は走行可能な状態であっても廃車とし、そこから部品を調達しています。
 現有の車両も車番が4000番台の最終形のみ部隊で運用される状況で、装備火器の運用上必要な車両を除き近年中に退役する方向です。

写真撮影:2008年03月15日
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