そらいろネット > 三浦半島の歴史 > 横須賀市 > 公郷町 > 横須賀高等学校
 横須賀高等学校

第四中学校 バス停公郷2丁目下車 徒歩5分
 地図
第四中学校
第四中学校
 神奈川県立横須賀高等学校の前身、神奈川県立第四中学校の頃の古い写真。
 横須賀高等学校の卒業生で一番有名なのは、元内閣総理大臣の小泉純一郎。ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊も、横須賀高校出身者です。 東京オリンピック金メダリストの猪熊功、俳優の窪塚洋介、アナウンサーの高嶋ひでたけなど。
 通称は「横須賀高校」、または「横高」。旧制中学時代の人は「横中」です。
 前身はナンバースクールとも呼ばれる神奈川県立第四中学校。戦前は海軍兵学校、陸軍士官学校を目指す生徒が入学する学校として知られていました。「自主自律」と「文武両道」を掲げています。自主をうたい自由な校風で、校則も少なく、制服も指定されていませんが、男子は詰襟の学生服、女子はブレザーが標準服とされています。最盛期には30を数えた全日制の学級数も、少子化により22まで減少したが、現在でも三浦半島内最多の公立高校です1960年代までは、男子比率が常に8割を超えていました。
 1908年、神奈川県下4番目の県立中学校として神奈川県立第四中学校は開校しました。現在の横須賀市域では横須賀町豊島町組合立横須賀高等女学校(県立横須賀大津高校)に次いで2番目、男子校としては初の旧制中等教育学校です。初代校長は吉田松陰の甥にあたる吉田庫三で、設立当初は規律正しく厳格な校風でした。1913年に神奈川県立横須賀中学校、1948年には学制改革により神奈川県立横須賀高等学校になりました。
 1907年(明治40年)8月7日、神奈川県立第四中学校の設立認可されました。
 1908年(明治41年)6月20日、開校式を行い、以後6月20日を創立記念日に制定されます。
 1913年(大正2年)3月11日、神奈川県立横須賀中学校に改称。
 1938年(昭和13年)4月1日、神奈川県立横須賀明徳中学校を設置。
 1943年(昭和18年)4月1日、学制改革により明徳中学校を廃止し、横須賀中学校夜間部として併設。
 1948年(昭和23年)4月1日、学制改革により神奈川県立横須賀高等学校に改称。
 1950年(昭和25年)4月1日、男子校から男女共学校に移行。
 1957年(昭和32年)10月10日、新運動場が完成。
 1959年(昭和34年)3月28日、旧運動場跡地に校舎新築を開始、A棟西側が落成。
 1976年(昭和51年)2月6日、D棟が落成し、現在の校舎4棟全てが完成。
 1989年(平成元年)11月9日、現在の体育館が完成。
 1994年(平成6年)7月5日、セミナーハウス「記恩館」が完成。
 2002年(平成14年)4月1日、スーパーサイエンスハイスクール (SSH) 協力校に指定されます。
 2008年(平成20年)10月25日、創立100周年記念式典を開催しました。
 全日制では学年制を採用し、3年間同じ学級で過ごします。クラス分けは入学時に選択する芸術科目に基づいて行われ、進路によるクラス編成は行われていません。2006年度入学生より少人数制学級を導入しています。
 1994年から年度を前期・後期に分ける2期制を採用しています。当初は秋休み等は設定されず、後期に入る際に節目となる行事が存在しなかったため、定期試験の日程以外に3学期制との差異はほとんどありませんでした。2006年度から夏休みを短縮し、文化祭の開催を例年より遅らせ、その直後に体育の日を含む1週間程度の秋休み設定しました。
 2002年からSSH協力校となり、2007年に神奈川県教育委員会から「学力向上進学重点校」に選ばれています。
 歴史的に1時限当りの授業時間が長く、65分x5時限の時間割となっています。課外活動や学校行事の準備に利用できる時間は制限されますが、完全週5日制になっても週6日制時代とほぼ同等の授業時間を確保しています。
 芸術科目を除いて1年次は全て、2年次も大部分の科目が必修です。3年次にはほとんどが選択科目となっています。選択科目は一定の単位数を満たすよう履修すればよく、1年間のみですが単位制課程に近い形態になっています。このため生徒は進路に合わせた時間割が組め、科目選択の自由度が高くなっています。
 生徒ごとに履修科目が異なるため、時間割編成の都合上授業を受けない時間帯ができてしまいます。これは「ブランク」と呼ばれる自習時間となります。2007年度入学者より科目選択の幅を狭め、より多くの授業時間を確保する予定となっています。3年次の履修科目を大きく3つの系統に分けて選択する形態となります。
 神奈川県ではスーパーサイエンスハイスクール(SSH)制度の実施にともない、独自の事業としてSSH指定校を補佐・協力し成果を挙げるためにSSH協力校を設定しています。SSHの趣旨である理数系教育の重点的な強化というよりも、最先端の科学技術に触れる機会を設け、研究現場からよい刺激を受けることで科学への興味関心を深めることが目的となっています。
 2002年に県立柏陽高校がSSH指定を受け、県立座間高校と並んでSSH協力校とります。現在は研究者を招いての特別講義、研究機関に出向いての講義や実習などが行われています。2008年度から指定を外されましたが、現在も宇宙航空研究開発機構などと独自に講座を開いています。
 1982年以降、例年9月下旬に体育祭・文化祭がそれぞれ隔年で開催されています。この他、校内大会、陸上記録会、修学旅行(近年では北海道を訪れることが通例となっていましたが、海外も多くなっています)、駅伝大会、合唱祭などの学校行事があります。クラス替えを行わないことからクラスごとの団結が強く、行事でもクラス対抗形式のものが多いです。
 部活動が盛んで、加入率は約90%。運動部と文化部がそれぞれ20部ほどあり、陸上部県大会総合優勝18回を誇り、2004年にはラグビー部が全国高校選抜大会に出場しました。文化部では、科学部がアマチュア無線を利用した流星電波観測を行い、2005年から2年連続して神奈川県理科部研究発表大会で最優秀賞を受賞しています。
 定時制では4年制で。教室は全日制と共用、全日制の放課後に45分x4時限の授業を行います。学生食堂を使用した給食も提供されています。
 校舎は鉄筋コンクリート製で4棟が並んでいます。すべての校舎が築30年以上経過しており、老朽化が激しく、耐震性能も不十分ですが、神奈川県の財政状況が厳しく建て替えの目処は経っていません。校舎はそれぞれ、A棟(1959年築)、B棟(1961年築)、C棟(1962年築)、D棟(1976年築)です。
 その他、講演会、運動部の合宿、演劇部などが使用する記恩館(セミナーハウス)。武道場とウエイトルームがある体育館。弓道場、運動場、プール、日本庭園風の中庭などの施設があります。
 同窓会の名称は全日制が「朋友会」、定時制・旧明徳中では「明友会」となっています。朋友会は横須賀中学校の卒業生を含め、2万人超の会員がいます。
写真撮影:----年--月--日
メインコンテンツ
 ・家庭の医学
 ・身近な植物図鑑
 ・身近な昆虫図鑑
 ・身近な野鳥図鑑
 ・身近な貝殻図鑑
 ・身近な生き物図鑑
 ・ベランダ園芸
 三浦半島観光地図
 ・大人の塗り絵
 ・ゲーム情報局
 ・日記
 ・コミュニティー
スポンサードリンク

中高生に大人気のスクールバッグ
ナイキ多機能ナイロンスクールバッグ(通学鞄)
銅鐸民族の謎―争乱の弥生時代を読む
銅鐸民族の謎争乱の弥生時代を読む
ファッション・スシューズ・ローファー・モカシン
幕末明治の生活風景外国人のみたニッポン

  横須賀市公郷町  
曹源寺 そらいろネットホーム 上町浄化センター
Copyright そらいろネット(ちーず。) All right reserved