もともとこの地には、尋常第一横須賀小学校(現在は小川町に移転した諏訪小学校)があった場所です。
明治40年2月1日、神奈川県では横浜市に次いで2番目、全国では59番目の市として、横須賀市が誕生しました。面積12.93平方キロメートル、人口6万2876人、戸数1万1433戸と記録されています。
尋常第一横須賀小学校内に仮に設置されていた町役場が、横須賀市役所となりました。
すぐに新庁舎建設が隣接地で行われ、明治40年8月14日に完成しました。木造2階建てで、建坪数は130坪8合(約430u)、工費は1万6521円でした。職員は38人でしたが、年末には63人に増員されました。
大正12年、関東大震災によって庁舎は全壊したため、若松町の軍港ビル(戦後、東洋観光社屋、現在はどこ?)を仮庁舎としました。
昭和3年3月、大滝町埋め立て地の現在の場所に新庁舎の起工式を行い、11月に完成しました。鉄筋コンクリート一部3階建てで、建坪471坪、附属建物を入れると延べ面積は1024坪7合5勺(約3380u)、工事費は全部で23万9263円でした。
大正15年、人口9万4234人、職員数243人でした。昭和18年、隣接町村を吸収合併したので人口29万8132人、軍人・軍関係者を入れると約40万人となり、職員数630人になりました。
昭和14年、空き地となった土地に横須賀海仁会病院が作られました。これが、現在の聖ヨゼフ病院の前身です。
建物は増改築が行われていますが、戦前に建てられた病院建築です。扇形をした局面になっており、当時としては先進的なデザインと言えるでしょう。設計は石本喜久治が行いました。
2013年10月、DOCOMOMO Japan(ドコモモジャパン)によって、「日本におけるモダン・ムーブメントの建築164選」に選定されました。
DOCOMOMOは、携帯電話会社ではなく、1988年に設立された近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織です。本部と40ヶ国以上に設けられた支部から構成されており、当初、本部はオランダのデルフトに設置されていましたが、2002年以降はフランスのパリにあります。
1999年に日本の近代建築20選が選定され、2003年9月には80件加え、日本におけるモダン・ムーブメントの建築を100件を選定しました。さらに、2005年に15件、2006年に10件、2007年に10件、2008年に10件、2009年に5件、2012年に14件、2014年に10件、2015年に10件が追加され、2015年現在では184件となっています。
横須賀市内では唯一選ばれている建築物で、世界的な組織が注目している建築物です。
昭和14年3月、横須賀海仁会病院が創設されました。海軍病院では行き届かなかった軍人家族の診療を充実させることに力を置き、海軍軍人のほか、その家族の診療に当たりました。
昭和21年7月、カトリック女子修道会聖母訪問会に経営が移管され、名称が聖ヨゼフ病院になりました。
平成27年1月、一般病床142床、療養病床40床になっています。 |