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諏訪公園


明治天皇御駐碑 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
明治天皇御駐碑
明治天皇御駐碑
 諏訪公園内にたくさんある石碑のひとつ。あまり訪れる人もいませんが、歴史のある古い公園のため、多くの石碑が立っています。
 この石碑は、「明治天皇御駐碑」です。本町にある明治天皇行在所跡の石碑と同じ意味を持って建てられた石碑です。明治天皇は横須賀製鉄所視察のため、たびたび横須賀に訪れていました。それを記念して建てられた石碑です。
 明治4年11月21日、浜離宮から日本海軍の軍艦龍驤(りゅうじょう)に乗船し、横須賀造船所を視察し、横須賀で2泊しました。龍驤は日本海軍の装甲コルベット艦で、熊本藩から明治政府に献上されました。装甲艦扶桑の就役まで日本海軍の旗艦として活躍した軍艦です。
 明治6年10月17日、皇后陛下と共に横須賀造船所を視察しました。日本海軍の御召艦として横須賀造船所で造船された蒼龍(そうりゅう)に乗船。蒼龍は内海で天皇が各地を視察するための移動手段として造られた排水量198tの木造船です。1泊して、猿島沖の艦隊運動を視察しました。
 明治8年3月5日、軍艦龍驤から横須賀造船所で建造された清輝(せいき)の進水式を視察しました。清輝は、日本海軍初めての国産軍艦として横須賀造船所で建造されました。日本艦船として初めてヨーロッパへ遠征した艦です。1泊して、海軍兵学校造船所学者を視察。明治丸に乗船して帰りました。明治丸は。灯台巡視船として日本政府がイギリスに発注した艦船です。当時、日本国内では最優秀艦船であったため、御召艦としても使用されました。
 なお石碑の碑文は、元帥東郷平八郎によるものです。
三浦半島観光地図:横須賀市本町・明治天皇行在所跡
三浦半島観光地図:横須賀市楠ヶ浦町・横須賀海軍工廠
写真撮影:2008年02月02日

猫塚 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
猫塚
猫塚
 諏訪公園の中にある石碑のひとつ。とても小さな石碑ですが、石碑の周りにはリースがかけられていて、とても綺麗に管理されています。ワンちゃんのオシッコ防止の意味合いもあるのでしょう。
 写真を撮ったのが日暮れ近くになっていたので、碑文が読み取れなくて・・・。しかもとっても綺麗な字で書かれてあるため、僕にはますます碑文が読めません。石碑の碑文は、マクロ撮影しても読めないことが多くてねー。
 拓本をとればカメラや肉眼で確認できなかった文字まで読めるようになると思うんだけど、そこまでやる気力がないし。せめてその場で碑文のメモをとればいいんだけど、それも面倒臭くてねー(^^;)
 なんとなく「猫塚」と書かれているように見えるんですが・・・。詳細をご存知のかたはいませんか?
写真撮影:2008年02月02日

招魂塔 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
招魂塔
招魂塔
 避雷針のようにしか見えないかもしれませんが、意味のあるものです。
 明治45年5月27日の海軍記念日に、横須賀海軍工廠工員の殉難者の慰霊のために建てられた招魂塔です。慰霊塔というべきかな?招魂祭は横須賀海軍工廠で働いていた工友会によって、毎年、海軍記念日に行われてきました。招魂塔は銅合金で作られました。
 しかし戦後間もなく、GHQの指示によって撤去されてしまい、台座のみが残っています。
 招魂塔には、正面に「招魂塔」、側面に「海軍中将従四位勲二等功四級 坂本一題」、裏面に「明治四十五年五月二十七日 横廠工友會建之」と刻まれていました。
写真撮影:2008年02月02日

招魂塔 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
招魂塔
招魂塔
 招魂碑なのか、招魂塔なのか、どちらが正しいのか今となっては良くわかりませんが・・・
 ありし日の招魂塔です。これが本来あるべき姿の招魂塔です。とても立派な塔だし、殉職者の慰霊のために建てられた物なにに、取り壊されてしまうなんて悲しい歴史ですね。遠くから見えるほどに立派だったため、目を付けられてしまったのでしょうか?
 やっぱり日本はアメリカに占領された国なんだなーっていうのを感じつつ、もう二度と戦争を起こしてはならないと感じます。
写真撮影:----年--月--日

招魂塔

京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
招魂塔
招魂塔

 招魂塔の別の写真です。
 これらの写真、方角的には諏訪公園から三笠公園方面に向かってカメラを構えているんですが・・・
 今では切り崩されてなくなっている山が写っています。

写真撮影:----年--月--日

諏訪公園 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪公園
諏訪公園
 これも良くわからない石碑。詳細をご存知のかたは、ご連絡ください。
 ここ諏訪公園は、東宮殿下(大正天皇)の御成婚を記念して、明治45年、住民の寄付によって開園された歴史のある由緒正しき公園です。横須賀市内には、明治時代に開園した公園として、浦賀園、衣笠公園、塚山公園があります。
 開園当時は周囲に高い建物もなく、公園からは猿島や房総半島まで見わたすことができました。終戦前には本土防衛のための高射砲が何基も取り付けられ、立入り禁止地区になっていました。
三浦半島観光地図:横須賀市小矢部・衣笠山公園
三浦半島観光地図:横須賀市西逸見町・塚山公園
写真撮影:2008年02月02日

頌徳碑 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
頌徳碑
頌徳碑
 江頭正五郎の頌徳碑です。江頭さんといえば、エガちゃんで有名な江頭2:50を想像してしまいますが・・・。数々の伝説を持つ江頭2:50さんですが、残念ながら違う江頭さんの石碑です。
 江頭正五郎さんは、「えがしら」さんではなく、「えとうしょうごろう」さんです。第二代横須賀町長です。
 1917年(大正6年)1月、当時の横須賀高等女学校校長である北村包直(きたむらかねなお)の撰文によるものです。石碑の最上部には伯爵徳川達孝によって「頌徳」と書かれています。
 江頭家は久留米藩士で、ペリー来航の前年である1852年(嘉永5年)1月、江戸日本榎の藩邸で生まれました。幼いころから儒学を学んでいました。1875年(明治8年)、23歳で汐入小学校の前身である横須賀学校の首席教員となり、のちに第二代校長となりました。
 明治22年4月1日、町長選挙で旭町の鈴木中兵衛が初代横須賀町長となり、江頭は助役に就任しました。その後、明治24年5月に第二代町長となり、3期12年にわたって町長の職を務めました。
 明治13年(1880年)頃から自由民権運動に参加し、相東社の結成に尽力しました。明治22年2月には、後藤象二郎を浦賀に招き、乗誓寺で「三浦郡有志懇親会」の発起人ともなっています。
写真撮影:2008年02月02日

動物愛護の碑 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
動物愛護の碑
動物愛護の碑
 この諏訪公園は戦前、小さな動物園がありました。昔の人の話によると、シベリア出兵の際に持ち帰ってきたヒグマや、その他にもヒツジ、ヤギ、サル、キジなどが飼われていました。ヒグマは北海道から連れてこられたとする説もあります。
 ヒグマは3頭で、当時の子供たちには大人気でした。近くの駄菓子屋にはクマ用の煎餅まで売られていました。
 しかしヒグマは、第二次世界大戦中の空襲の際に逃げ出しては危険だとの判断から、1944年頃に猟友会の人によって射殺されてしまいました。食糧難でヒグマに与えるエサもほとんどなかったほどだったそうです。射殺されたヒグマは、深川の料亭に引き取られました。
 残念ながら、詳しい資料は残されておらず、詳細は不明な部分が多いです。
 クマの世話、駄菓子屋経営をしていた人の本職は、軍用犬の訓練士。山中でシェパードを訓練して戦地に送り込んでいたことから、クマの世話もするようになったようです。
 昭和60年6月、殺されたヒグマ、ペット、交通事故で死亡した動物の供養のために動物愛護協会、獣医師会などによって「動物愛護の碑」が建てられました。碑文は元横須賀市長の横山和夫によるもので、この石碑もかつてヒグマのオリがあった場所になります。
 毎年11月初旬、慰霊祭が行われています。
身近な生き物図鑑:ヒツジ
身近な生き物図鑑:ヤギ
身近な生き物図鑑:ニホンザル
身近な野鳥図鑑:キジ
写真撮影:2008年02月02日

軍艦甲板 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
軍艦甲板
軍艦甲板
 日本海軍の軍艦甲板の一部が、なぜか諏訪公園に置かれています。中央の穴は、甲板を砲弾に打ち抜かれた跡です。
 陸海軍の拠点でもあった横須賀では、日常風景の中に「軍隊の足跡」がたくさん残されています。そういった軍隊に関係する史跡の一部です。艦船の艦名や、どのような経緯によりここに置かれたのかは不明です。
 たぶん戦艦三笠のものだと思いますが、記録には残されていません。
三浦半島観光地図:横須賀市稲岡町・記念艦三笠
写真撮影:2008年02月02日

諏訪公園 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪公園
諏訪公園
 この公園には戦前まで、横須賀製鉄所建造の功労者である、小栗上野介と、ヴェルニーの胸像がありました。現在は汐入町のヴェルニー公園(旧・臨海公園)に移されました。
 横須賀市自然・人文博物館にも、新しく建立されました。
三浦半島観光地図:横須賀市汐入町・ヴェルニー公園
三浦半島観光地図:横須賀市深田台・横須賀市自然人文博物館
三浦半島観光地図:横須賀市深田台・博物館前公園
三浦半島観光地図:フランソワ・レオン・ヴェルニー
三浦半島観光地図:小栗上野介忠順
写真撮影:2008年02月02日

記念植樹之碑 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
記念植樹之碑
記念植樹之碑
 皇太子の誕生を記念して、記念植樹を行った石碑です。この皇太子とは、現在の平成の天皇陛下である明仁(あきひと)のことになります。昭和天皇の息子ですね。
 記念植樹は横須賀海軍工廠で働く人たちによって行われました。石碑は昭和9年12月23日に建てられました。
 碑文は海軍少将の村田豊太郎によって書かれています。村田豊太郎は横須賀海軍工廠長や、横須賀海軍機関学校校長などを務めた人物です。
 なんの樹木を植樹したのかまでは、確認しませんでした。現在の天皇陛下なのでキリ(桐)ですかねー?公園内にはさまざまな種類のドングリのなる木が生えていました。かなり大きな木が多く、たくさんのドングリが落ちていました。ドングリ拾いをするには、楽しい公園かもしれません。
写真撮影:2008年02月02日

諏訪公園 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪公園
諏訪公園
 これも由来の良くわからない石碑。写真は撮ったけど、残念ながら文字までは読み取れませんでした。
 横須賀中央や汐入方面は、買い物なので行く機会の多い場所なので、機会があったら再び訪れて確認してみたいと思います。
写真撮影:2008年02月02日

鳥居 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
鳥居
鳥居
 幽霊でも出てきそうな心霊スポットのようにも見えますが。朽ち果てたままになっている石造の鳥居だと思います。
 この諏訪公園、かつては「古谷山」と呼ばれていました。その後、「八幡山」と呼ばれるようになりました。幕末の頃の1854年(安政元年)、大津陣屋に入った熊本藩主細川越中守斉護が祭った八幡神社を、1866年(慶応2年)にこの山に移して、横須賀製鉄所の鎮護としました。これが「八幡山」の地名の由来です。
 のちに八幡神社は龍本寺に移され、現在は境内に肥後藩の名を刻む狛犬の台座が残っています。
 このような歴史があるため、この朽ち果てた鳥居の跡はもしかしたら、八幡神社の鳥居なのかもしれません。ただ、諏訪公園に隣接して諏訪神社があるので、諏訪神社の鳥居かもしれない・・・
三浦半島観光地図:横須賀市深田台・龍本寺
三浦半島観光地図:横須賀市緑が丘・諏訪神社
写真撮影:2008年02月02日

諏訪公園 京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪公園
諏訪公園
 諏訪公園の古写真をゲット。
 手前に諏訪神社があるので、聖ヨゼフ病院近辺から撮影したのかもしれません。諏訪神社は、現在とあまり変わりませんね。
三浦半島観光地図:横須賀市緑が丘・聖ヨゼフ病院
 諏訪公園の中に鳥居があるのが確認できます。取り壊された鳥居は、この写真に映っている鳥居かもしれないですね。
 諏訪公園でもっとも高い場所には、江頭正五郎の頌徳碑が確認できます。当時も現在と同じ場所に石碑が立っていたようです。
 まっすぐに高く伸びた招魂塔も確認することできます。やっぱり目立ちますね。
 現在の諏訪公園には、多くの広葉樹林が生えていますが、以前はあまり木が生えていないんですねー。かなりの巨木がたくさん生えていたんですが、第二次世界大戦後に生えてきた樹木なのかな?ドングリ拾いには最適な公園だなーとか思ってたんですが。
写真撮影:----年--月--日
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