三浦半島の砂浜海岸では、地引き網によるイワシ漁が盛んでした。野比村、上宮田村、菊名村などの他、大津村、馬堀村などでも小規模ながら行われていました。
地引網船は、真ん中に網を置くようになっています。
イワシの他にも、コノシロ、イナダ、アジなども漁獲されました。
野比村では、この船を「アンブネ(網船)」と呼んでいました。
村人たちは、朝4時頃から漁に出ました。コザラシ網といい、イワシ類は海面近くを泳ぐため、水面下に網を流し、イワシを網に刺して漁獲する方法で「流し網」といいます。
地引網は、ウチマエと呼び、親戚同士で6軒〜7軒が網株を持ち、地引網漁を行いました。見張り小屋で魚群を見付けると、法螺貝を吹いて農作業をしている仲間に知らせていました。
大阪を中心とする上方地方で、大切な商品としての「綿作り」が盛んになりました。その肥料になるイワシ漁業が盛んになり、イワシは江戸湾に面した野比を初めとする下浦海岸などで多く漁獲されました。イワシを獲るため、紀州(現在の和歌山県)からわざわざ出稼ぎに来て住み着いた漁師もいました。 |