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ヴェルニー公園


ヴェルニー公園

京急汐入駅下車 徒歩7分
地図

 もとは水ヶ浦と呼ばれていた場所で、のちに湊町と呼ばれるようになった場所です。現在は汐入町になっています。

 明治時代初期に横須賀が帝国海軍の本拠地となる海軍衣糧科、海軍需品庫などが次々と建設され、1928年(昭和3年)に両者が合体した海軍軍需部が田の浦に移転するまで、ここが海軍の艦船や陸上部隊への軍需品の供給基地となっていました。。
 通りに面して商店・旅館・料亭などが建ち並び、とても賑わっていた場所です。

 戦後は臨海公園の名称で親しまれてきました。
 対岸にはフランス人技師ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所跡地が望め、ヴェルニー・小栗祭が毎年開催されていることなどから、フランス式庭園様式を取り入れた公園として整備を行ってヴェルニー公園が誕生しました。
 ヴェルニーと当時の勘定奉行小栗上野介忠順の胸像、広場を中心にフランス式花壇や噴水、洋風あずまやなどがあります。フランスの品種を中心に130種類・約2000株のバラが植栽されています。ボードウォークからは横須賀本港に停泊する自衛隊・アメリカ海軍の艦艇を一望できます。
 また、ヴェルニーの功績をたたえたヴェルニー記念館、カフェレストラン・コルセールがあります。コルセールでは横須賀名物のネイビーバーガー、ヴェルニーも食べていたと思われるガレットなどを食べることができます。

 1871年(明治4年)から数回に渡って埋め立てが行われました。
 1896年(明治29年)、海軍用地となりました。
 1923年(大正12年)4月、横須賀海軍軍需部が置かれました。
 1928年(昭和3年)9月、軍需部が田浦町田之浦に移転し、海軍工廠の一部と海軍運輸部が置かれました。
 1946年(昭和21年)10月、第二次世界大戦が終結し、コンクリートの塀が取り除かれ、2万3600uの臨海公園が誕生しました。
 2001年(平成13年)、フランス式庭園様式を取り入れて、ヴェルニー公園となりました。

 ヴェルニー公園内には見どころがたくさんあるので、分割したページ。
汐入ポンプ場|ヴェルニー公園|横須賀市汐入町 - 三浦半島の歴史
石碑|ヴェルニー公園|横須賀市汐入町 - 三浦半島の歴史
逸見波止場衛門|ヴェルニー公園|横須賀市汐入町 - 三浦半島の歴史

 ベルニー公園内では、さまざまなイベントが行われます。
春のローズフェスタ|ヴェルニー公園|横須賀市汐入町 - 三浦半島の歴史
秋のローズフェスタ|ヴェルニー公園|横須賀市汐入町 - 三浦半島の歴史
空母信濃を偲ぶ会|ヴェルニー公園|横須賀市汐入町 - 三浦半島の歴史
原子力空母の横須賀母港化を許さない全国集会|ヴェルニー公園|横須賀市汐入町 - 三浦半島の歴史


ヴェルニー公園

京急汐入駅下車 徒歩7分
ヴェルニー公園
ベルニー公園
 以前の臨海公園です。
 公園内には、じつにさまざまな石碑が建てられています。
 海を見れば、正面にはアメリカ海軍の潜水艦やイージス艦、フリゲート艦などの艦船を見ることができ、左側には海上自衛隊の護衛艦を見ることができます。
三浦半島の歴史:横須賀市東逸見町・ヴェルニー記念館
写真撮影:2006年07月25日

ヴェルニー公園

京急汐入駅下車 徒歩7分
ヴェルニー公園
ベルニー公園
 ヴェルニー公園は綺麗になりましたねー。以前の臨海公園時代は、夜間に歩くのはちょっと怖いなって感じのする公園だったのですが。でも、JR横須賀駅から、京急汐入駅に行く場合は、ここを通ることが多くて。
 でも、たくさんの木々が植えられており、自然が豊かな良い公園でもあったんですけどね。
写真撮影:2007年05月21日

洋風あずまや

京急汐入駅下車 徒歩7分
洋風あずまや
洋風あずまや
 これがチャペルっていうやつなのかなーと思ったんだけど、「洋風あずまや」なんだってー。これは予想外だったー!!「あずまや」だよ、「あずまや」。なにか間違ってると思わない?
 これを「洋風あずまや」と呼ぶのは、ちょっと難しいなぁー。
 もしかして、僕が間違ってるのかな?あんまりにも突拍子もない名前なので、自信がない・・・。メモの取り間違いかもしれない。あー、だんだん頭が混乱してきたー。

 

写真撮影:2007年05月21日

ヴェルニー公園

京急汐入駅下車 徒歩7分
ヴェルニー公園
ヴェルニー公園

 このあたりって、名前がない通路みたいです。
 ヴェルニー公園の地図を見ても、ココの名前は書かれてないみたいなので・・・
 サクラが咲くエリアなので、桜の広場になるのかも。洋風あずまやや、カリヨン時計があります。
 かつて横須賀海軍工廠へと繋がる線路の引込み線がこのあたりにもありましたが、ヴェルニー公園として整備されたときに取り払われてしまったようです。

写真撮影:2016年06月21日

ボードウォーク

京急汐入駅下車 徒歩7分
ボードウォーク
ボードウォーク

 海沿いに作られたウッドデッキ状のボードウォーク。
 木材に詳しい人なら、木材の種類までわかるのかもしれません。私にはわかりませんが。
 ボードウォークに沿って歩いて行けば、海上自衛隊の護衛艦や潜水艦、アメリカ海軍の軍艦などを見ることができます。
 軍港めぐりに乗ってる人が、手を振ってきたりもしてきます(^^;)

写真撮影:2016年06月21日

ヴェルニー胸像

京急汐入駅下車 徒歩7分
ヴェルニー胸像
ヴェルニー胸像
 この公園の主人公です。
 フランソワ・レオン・ヴェルニー(1837年〜1908年)。
人物事典:フランソワ・レオン・ヴェルニー
 フランス人の造船技師で、海軍の増強を目指した徳川幕府の要請によって、横須賀製鉄所建設の責任者として1865年に来日しました。
 明治維新後も引き続き、建設と運営の任務に当たり、観音崎灯台、走水の水道、レンガの製造、製鉄所内の技術学校を設け、日本人技術者の養成に努めるなど、造船以外の分野でも広く活躍し、1876年に帰国しました。
 ヴェルニーと小栗上野介の胸像は、1953年(昭和28年)5月に除幕されたもので、芸術大学の教授を勤めた内藤春治の作品です。
写真撮影:2006年07月25日

小栗上野介忠順胸像

京急汐入駅下車 徒歩7分
小栗上野介忠順胸像
小栗上野介忠順胸像
 この公園の副主人公とでもいうべきでしょうか。
 小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)。1827年〜1868年。
 日本初の遣米使節をつとめ、外国奉行、勘定奉行など、徳川幕府末期の要職を歴任し、フランスの支援のもとに横須賀製鉄所(造船所)建設を推進しました。
 軍政の改革、フランス語学校の設立など、日本の近代化に大きく貢献しましたが、大政奉還後に徹底抗戦を主張したため役職を解か、領地の上野国権田村(こうずけのくにごんだむら、現在の群馬県倉渕村)で官軍によって斬首されました。
人物事典:小栗上野介忠順
写真撮影:2006年07月25日

烏川水沼河原の石

京急汐入駅下車 徒歩7分
烏川水沼河原の石
烏川水沼河原の石
 小栗上野介が斬首された上野国権田村(現在の群馬県倉渕村)の烏川水沼河原の石です。
 昭和28年に臨海公園で行われた開港祭を機会に、倉渕村から寄贈されました。
 彫りが浅くて、ちゃんと読むことができませんが、中央に建っている石に、昭和28年に倉渕村から寄贈された旨が刻まれています。
写真撮影:2006年07月25日

開港碑

京急汐入駅下車 徒歩7分
開港碑
開港碑
 横須賀市の発展の基礎を築いた小栗上野介と、ヴェルニーの功績を顕彰するため、昭和28年5月に横須賀商工会議所が中心となって、小栗上野介胸像とヴェルニー胸像、そしてこの開港碑が建てられました。
写真撮影:2006年07月25日
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