左右二棟あり、左側には「逸見上陸場」、右側には「軍港逸見門」と書かれた昔のままの表札が残っています。
建築年代は、明治時代末〜大正時代初期と考えられています。
当時は東門、西門、南門、楠浦門があり、西門が逸見波止場のあったところになります。現在は当初の位置から東に約2.5m移動させられています。
高さ約4m、銅板葺きのドーム屋根で、八角形の鉄筋コンクリート造、タイル張りです。
1907年(明治40年)12月27日、第二艦隊の閲覧のため、明治天皇が横須賀に行幸されました。横須賀停車場に着いた後、逸見波止場衛門を通って軍艦筑波へと向かっています。大正天皇、昭和天皇も、観艦式の際には逸見波止場衛門を通っています。
普段は軍港内に停泊する軍艦や船舶を乗り降りする人々で、とても賑わっていた場所です。とくに艦隊の入港となると、全国から集まる乗組員の家族や出迎えの人々で埋め尽くされ、とても混雑しました。
1943年(昭和18年)5月23日、ソロモン諸島上空で戦死した連合艦隊司令長官山本五十六大将も、戦艦武蔵から衛門を通って上陸し、横須賀駅から特別列車で東京へと向かっています。
俳人・松根東洋城(まつねとうようじょう)の随筆『薪水帖』(しんすいちょう)の中に、「横須賀軍港西門桟橋」の作品があります。
横須賀市の指定市民文化遺産に指定されています。
戦後は軍港として隔てられていたコンクリート製の塀も取り払われ、臨海公園として市民の憩いの場となりました。衛門の裏側には、塀が繋がっていた跡があります。
たぶん公衆トイレとして使う人がいるんだと思います、鉄製の門で入り口は塞がれていました。
ヴェルニー公園|横須賀市汐入町
- 三浦半島の歴史
2016年(平成28年)、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」に指定されました。
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