居酒屋「空母信濃」の主催によって、空母信濃を偲ぶ会が開催されました。開催日は空母信濃が沈没したと言われている11月29日。
今年で解散が決まった遺族会「空母信濃・思い出会」の方々も参列されました。ヴェルニー公園の噴水池に空母信濃のラジコンを浮かべ、取材陣に囲まれながら行われました。
このあと、遺族会「空母信濃・思い出会」の方々は料亭小松に行き解散となりました。
空母信濃は、長野県の旧国名が付いた航空母艦です。横須賀海軍工廠の6号ドックで建造され、建造中の大和型戦艦3番艦(110号艦)を戦局の変化にともなって戦艦から航空母艦に設計変更されました。1944年(昭和19年)11月28日、未完成のまま広島県呉に向けて出港し、翌日の11月29日、和歌山県沖で米潜水艦アーチャーフィッシュの魚雷攻撃を受け、一度も実戦に投入されることなく沈没しました。
当時、世界最大の空母で、戦時中は沈没の事実だけでなく存在すら隠されており、関連書類は敗戦時に処分されました。1961年にアメリカ海軍最後の通常動力推進空母キティホーク(満載
83,301t)が登場するまで、史上最大の排水量を持つ空母でした。
1945年2月に完成予定でしたが、戦況の悪化から出港時は必要な設備も簡素化された未完成の状態でした。空母信濃会などの調査によれば、乗組員は約2000人で、艦長ら791人が死亡しました。戦死者のうち長野県出身者は少なくとも55人、東京都、北海道、埼玉県、神奈川県に次いで多い戦死者となりました。
戦後の1963年、須坂市出身で大阪にいて召集された故人の山岸泰忍(たいにん)さんによって「空母信濃会」結成を呼び掛けられました。空母信濃開では、呉市に犠牲者の墓碑を建立し、生存者の証言集なども作成しました。「空母信濃を偲ぶ会」を経て、「思い出会」と名称も変更なりました。
「空母信濃・思い出会」の事務局は、仙台市の池上武さん(73歳)が務めています。生存者と遺族は毎年集まって体験を語り継いできました。百数十人いた会員は、現在では約40人となりました。池上さんは「沈没から70年が過ぎ、幕を閉じてもいい頃だと考えた」といい、信濃が建造された横須賀市で最後の集会が開かれ解散しました。
・開催日時:2015年11月29日(日)13:00〜14:00
・場所:ヴェルニー公園内噴水池
・計画:マル4計画
・起工:1940年4月7日、または1940年5月4日
・進水:1944年10月8日
・竣工:1944年11月19日
・最後:1944年11月29日沈没
・基準排水量:62,000トン
・全長:266.0m
・全幅:38.90m、または38.0m
・飛行甲板:256.00 x 40.00m
・速力:27.0ノット、または27.3ノット
・乗員:2,400名
ヴェルニー公園|横須賀市汐入町
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横須賀製鉄所|三浦半島事典
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