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龍本寺


龍本寺

京急横須賀中央駅下車 徒歩10分
龍本寺
龍本寺

 とにかく立派なお寺です。まず一番に目が行くのが、なんと言ってもこの立派な屋根ですねー。とても大きくて、しかもバランスの良い形が美しいです。
 猿海山龍本寺といい、日蓮宗のお寺です。昔から「米ヶ濱のお祖師様」と呼ばれ、宗派を問わず親しまれてきた寺院です。昔は「よねがはま」ではなく「こめがはま」と呼ばれていたみたいです。
 本尊は小湊誕生寺を建立した日家上人作の日蓮三十二歳の像です。

写真撮影:2006年12月13日

龍本寺

京急横須賀中央駅下車 徒歩10分
龍本寺
龍本寺

 龍本寺の境内はこんな感じになっています。拾いですねー。
 龍本寺の屋根は銅版で青銅色だったと思っていたんですが。自分のイメージと違う屋根の色だったので、再び、確認しに行ってきました。
 どうやら太陽の向きによって、青銅色に見えるみたいです。
 日蓮が房総半島清澄山で立教開宗を悟り、1253年(建長5年)5月、鎌倉を目指して旅立ちました。昔は房総半島から鎌倉入りするルートのひとつが、船で横須賀付近に上陸するルートでした。房総半島西海岸の南無谷から船出しました。現在の富津町に南無谷があり、日蓮に関する伝説や史跡が残っています。

千葉県観光地図:富津市金谷

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

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龍本寺
龍本寺

 上から見るととても大きなスケールの屋根。正面から見てもやっぱり大きいです。でも、上から見たときほどのスケールはないですねー。正面から見たバランスを考えると、屋根の大きさというのはこんなにも大きくなるんですねー。
 しかしあいにくの大時化で、老朽船であったこともあり、船底に穴があき、海水が侵入してきました。このとき、船の舳先に立った日蓮がお題目を唱えると、波浪は静まり、いつの間にか船底の穴も塞がっていました。船底の穴には、アワビが密着していたと伝えられています。
 日蓮を乗せた船は、当時の豊島(現在の猿島)に漂着し上陸しました。すると1匹の白猿が近付いてきて、法衣の袖を引き、陸の方を指差しました。日蓮は再び船に乗って白猿の指示した岬へと向かいましたが、遠浅の海で進むことができませんでした。

身近な貝殻図鑑:アワビ

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

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龍本寺
龍本寺

 龍本寺できになるのは、やっぱり渡り廊下でしょー。裏坂から龍本寺に抜ける道を通ると、この渡り廊下の下を通ることになります。正式名称が「渡り廊下」というのかどうか、わかりませんが(^^;)
 本堂側には、お札や鐘がありました。
 猿島へと向かうとき、裾をからげて船に近付き、日蓮を背負って岸辺まで連れて来た人物がいます。その人が現在でも伝わる石渡家の先祖、石渡左衛門尉則久でした。夢の中で日蓮のことを知り、迎えに行きました。石渡左衛門がサザエの角で足を怪我して血を流しているのを見て、今後サザエの角で人々が傷付くことがないようにとお題目を唱えました。その後、この海岸で取れるサザエには、角がなくなったと伝えられています。これが「角無し栄螺」の伝説です。石渡左衛門は、もともと「石堂」と名乗っていましたが、日蓮を背負って浜を渡ったことから、「渡」の字にして「石渡」としたそうです。
 これらのアワビとサザエは、龍本寺の霊宝として格護されています。

身近な貝殻図鑑:サザエ
三浦半島観光地図:横須賀市猿島

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

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龍本寺
龍本寺

 とても立派な龍の彫刻。他にも、鶴、雉、松などが彫られているようです。
 日蓮の伝説に由来するのでしょうか、龍の彫刻の上には、荒波の中を渡る船の姿が彫られています。しかも、龍が手に持っているのは、なんとサザエ!!
 この「聖人垂跡」と書かれた大扁額は、明治大正時代の書壇の巨匠、中林梧竹の墨跡です。
 日蓮は、この海岸で格好な岩窟を見つけ、37日間に渡って祈願したのち、鎌倉へと旅立ちました。このときこもった岩穴は、「お穴さま」として現在でも残されています。

三浦半島観光地図:横須賀市米が浜通・お穴さま

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

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龍本寺
龍本寺

 立派な灯篭だなぁー。銅製で、しかもここまで大きな灯篭というのは、めずらしいですねー。
 日蓮と接した石渡左衛門は、粗末な法衣を着けてこそいましたが、にじみ出る人格に世の風僧ではないと法華経に帰依し、日妙と号しました。そして、人々と協力してここに草庵を建てました。これが、「御浦法華堂(みうらほっけどう)」で、のちに信仰する人々が増え龍本寺となりました。この「御浦法華堂」が、宗門最初の霊場です。のちに、法華堂は金谷に移されて大明寺となり、龍本寺は奥の院となりました。かつては龍本寺から大明寺へ、延々と松並木の参道が続いていたといいます。
 現在の本堂は、今から200年以上も前に建てられたものです。寺院建築としては、三浦半島最大のものです。屋根は明治のはじめごろまでは茅葺き屋根でしたが、現在は瓦葺になりました。建物は当時のままです。

三浦半島観光地図:横須賀市衣笠栄町・大明寺

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

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龍本寺
龍本寺

 本堂と渡り廊下で繋がっている建物。庫裏とはまたちょっと違うみたいです。
 「はなれ」かなーって、旅館じゃないんだから、そんなわけないか(^^;)

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

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龍本寺
龍本寺

 水子堂と書かれているのかな?左手に子供を抱いた菩薩さまです。
 すぐ隣には、石碑があります。ちゃんと確認しなかったんですが、軍関係の石碑かな?

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

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龍本寺
龍本寺

 横須賀海軍航空隊殉職将士追悼碑。
 大正4年〜大正15年までの横須賀海軍航空隊の殉職者を追悼するため、昭和9年7月5に建立されました。発起人は、相場時事新聞社長最上尭雅です。
 石碑には、「横須賀海軍航空隊 殉職将士追悼碑 海軍大将 永野修身書」と刻まれています。石碑の裏には、殉職者の氏名、階級、殉職年月日などが刻まれています。

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

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龍本寺
龍本寺

 さすがに歴史のあるお寺だけに、たくさんの石碑・石塔があります。
 そのうち調べますので、少々お待ちください。龍本寺にはわからないことがたくさんあるので、もう一度、史跡巡りに行かないといけませんねー。

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

京急横須賀中央駅下車 徒歩10分
龍本寺
龍本寺

 これも、たくさんある石碑・石塔のひとつです。

写真撮影:2007年09月26日

龍本寺

京急横須賀中央駅下車 徒歩10分
龍本寺
龍本寺

 1925年(大正14年)3月4日、龍本寺の写真です。
 龍本寺は現在とほとんど変わりませんね。でも屋根の高さが、かなり高いように見えます。新しくした時、屋根の高さを少し低くしたのかな?
 周辺の家は、平屋の家ばかりですねー。一般住宅みたいです。

写真撮影:----年--月--日
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