1983年(昭和58年)に建立された岩野泡鳴詩碑です。
岩野泡鳴は、1873年(明治6年)1月に兵庫県淡路島洲本町で生まれました。本名は岩野美衛といいます。筆名の泡鳴は、生地阿波の鳴戸をもじったものです。島崎藤村、田山花袋、徳田秋声、正宗白鳥と並ぶ自然主義文学の五大作家の一人です。
1890年(明治23年)、国木田独歩らと「文壇」を創刊、これに新体詩を発表したり、与謝野鉄幹らの「明星」に参加して詩作と持論に積極的な活動をするなど、詩人としてスタートしました。1906年(明治31年)、処女小説『芸者小竹』を発表してから、次第に小説の数が多くなりました。
岩野泡鳴は生涯に5冊の詩集を出し、「田戸の海ぬし」が収録されている『悲恋悲歌』は1905年(明治38年)に刊行されたもので、その第3詩集にあたります。「田戸の海ぬし」は、田戸の海坊主と呼ばれる老爺の猪之助という漁師とそれをとりまく情景を、俗謡風の語を用いて、七七調でうたったものです。また同じ年に、この辺りを題材とした瞑想詩劇『海堡技師』を発表しています。
代表作としては、小説に『耽溺』、『発展』、『毒薬を飲む女』、『放浪』、『断橋』、評論に『神秘的半獣主義』、詩集に『闇の盃盤』などがあります。
1920年(大正9年)5月、腸の穿孔と腹膜炎のため亡くなりました。享年48歳でした。死の直前医師に、「これからいいものを書くぞ」と語気強く語ったといわれています。
+---碑文---+ |
田戸の海ぬし
田戸に山崎、
また堀の内、
走水にも、
また大津にも、
春のうしほは
朝ゆふ寄せて、
けむる霞の
奥より見ゆる、
淡き猿島、
島とは云へど、
田戸のおやぢか
巣にこそ似たれ。 |
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