南東側の陸橋部で台地本体と繋がる南北350m、東西250m、標高約20mの独立地形で、この全域が遺跡になります。
古墳時代前期と、古墳時代後期〜平安時代の遺跡で、相模湾岸屈指の大集落跡です。
1950年(昭和25年)以降、たびたび調査が行われていますが、小規模調査のため全容は明らかになっていません。
遺跡東端部に縄文時代の遺跡があり、早期無文土器の大浦U式土器、平坂式土器、竪穴式住居跡などが発見されています。
古墳時代前期〜中期、約50軒の竪穴式住居跡の調査が行われています。大型の壺形土器や台付甕形土器など、多量の土器が覆土中に層をなして出土しています。
古墳時代後期〜平安時代、竪穴式住居跡63軒、掘立柱建物跡4棟等が調査されました。5世紀〜10世紀前葉にかけての集落で、きわめて大規模な集落ですが、官衙的な遺構は見つかりませんでした。 |