長井台地南側斜面中腹に、14穴が開口しています。
出土した須恵器から、7世紀代を通して築造されたものだと考えられます。天井はドーム型やアーチ型をしています。排水溝が作られ、貝殻が敷かれていたものもありました。
伊勢系鍋なども出土したため、中世には生活跡、あるいは墓として再利用された可能性が高いと思われます。
防空壕として再利用する際、勾玉や水晶玉のほか、玄室中央の平岩を搬出した際、岩下から直刀や鉄片とともに人骨が出土しました。
直刀などの豊富な金属製品や、三浦半島ではほとんど出土していない馬具の副葬品などが発見されています。 |