浦賀地区には地名の由来が書かれた案内看板が12個も設置されています。
まだまだ一部しか出会えていませんが、すべて回ってみるのも面白いかもしれません。
西浦賀1丁目のこの辺り(蛇畠町内会館周辺)を蛇畠(じゃばたけ)と言います。
昔は、現在の蛇畠の通りに並行して、愛宕山の麓までに畠(畑)がありました。
幅が狭くて、長く続くその畑の形が蛇のようであったので、それに由来したものです。蛇がたくさん生息していたという意味ではありません。
この付近には、江戸時代に浦賀奉行所の船番所があり、東西浦賀と下田の廻船問屋100軒余があり、船の荷改め(にあらため)の実務を担当していました。
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