雑賀衆の末裔とされる創業者・岡本伝兵衛が1872年10月3日に創業しました。
雑賀衆とは、戦国時代に紀伊国北西部の雑賀荘を中心とする一帯(現在の和歌山市雑賀崎)の諸荘園に居住した国人・土豪・地侍たちの結合した集団です。雑賀党とも呼ばれます。16世紀当時としては非常に多い数千丁単位の数の鉄砲で武装し、きわめて高い軍事力を持って傭兵集団としても活躍しました。横須賀市内では現在でも馬堀町周辺に雑賀衆の末裔の人々が多く住んでいます。
1956年(昭和31年)、川崎店に進出と共に本店も横須賀から川崎に移されました。
1974年(昭和49年)4月、横須賀店建物増築工事を行い、地下2階、地上8階の商業ビルが完成し、店舗延面積21,922u(売場面積14,761u)となりました。
1990年(平成2年)3月、隣接地に延床面積26,984u(店舗面積14,356u)を新築し、横須賀店新館として開業しました。大通
り館と合わせ店舗延面積28,259u(売場面積26,714u)となりました。
1990年(平成2年)10月、新館の隣接地にレストラン街・各種サービス・集会・文化ホールなどを中心としたコミュニティー館(延床面積7,906u)として南館を開店しました。
2009年(平成21年)8月4日、事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続を行うと決定しました。今後も百貨店の運営は継続することになっています。
2009年(平成21年)8月28日、親会社である雑賀屋不動産が特別清算を開始しました。
さいか屋は営業不振から2009年2月期決算で26億円の純損失を計上。2009年1月には京浜急行電鉄を引受先として第3者割当増資を実施、3月には希望退職の募集を行うなど資本増強と経費圧縮を進めていましたが、5月末時点で自己資本比率は8.7%にまで低下し、288億円の負債が経営を大きく圧迫し、私的整理手続きを余儀なくされました。
2011年(平成22年)5月11日、かつての本館だった大通り館が閉鎖され、新館に売場の集約されました。地下1階で製造・販売されていた小泉純一郎の似顔絵焼き印の入った「純ちゃんまんじゅう」、白あんをカステラ風の生地で包んだ「さいか屋まんじゅう」も、販売が終了しました。
酒保伊良湖|横須賀市大滝町
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サイカヤパーキング|横須賀市小川町
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