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帝国海軍最初の飛行機の写真。
現在、日産自動車追浜工場のあるあたりは、1945年(昭和20年)の終戦まで、横須賀海軍航空隊と、その飛行場がありました。
1912年(明治45年)、海軍航空術研究委員会が創立され、追浜海岸に水上機の訓練場が建設されました。
1912年(明治45年)11月2日、河野三吉海軍大尉がアメリカから持ち帰ったカーチス式水上機で初飛行に成功したため、ここが海軍航空隊発祥の地とされています。1937年(昭和12年)、海軍航空発祥の地の石碑が建てられました。
1930年(大正5年)3月、海軍航空隊令が発布され、4月に横須賀海軍航空隊が追浜に置かれました。
1930年(昭和5年)6月1日、海軍飛行予科練習生の1期生が入隊、以降昭和14年まで横須賀で予科練の教育がおこなわれた。
飛行場を造るために海岸を埋め立て、夏島は現在のように陸続きとなりました。横須賀航空隊は、日本の海軍航空発展の中心となりました。
1932年(昭和7年)、隣接して海軍航空廠が設置され、多くの新鋭機の開発が行われました。この頃から「源田サーカス」と呼ばれるアクロバット飛行隊を作り、国民に海軍航空隊のアピールを行っいました。
1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争開戦。
1944年(昭和19年)2月、実戦配備につきます。。6月15日、あ号作戦発動にともない、第27航空戦隊と八幡空襲部隊を編成し、マリアナ方面の後詰として硫黄島へ進出しました。度重なる空戦と硫黄島への爆砲撃により、7月4日までに全機材を喪失しました。残存隊員は輸送機で横須賀に帰還しますが、一部の隊員はそのまま硫黄島の守備につき玉砕しました。その後は九州に進出しての特攻攻撃援護、および関東地区防空戦に従事しました。
終戦間際には、日本初のロケット機「秋水」の開発に成功するなど、高い技術力を持っていました。 |
写真撮影:----年--月--日 |
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