そらいろネット > こころコミュニティー > 誕生日・誕生花・誕生石占い > 11月12日生まれ
みんなの注目を集める、あこがれの星です。 飾ることなく、ありのままの自分をさらけ出しても、人を引き付ける内面的な魅力と、外見的な色気を併せ持っています。 そうした人を引き付ける魅力は、恋愛関係でも生かされますが、仕事の場や社交的な場面でも生かされます。 才色兼備で、知識が豊富です。周囲を楽しませる話題には、事欠くことがありません。 物憂げで、根暗な一面を持っています。 偉そうにふんぞり返って、どこまでも高飛車でいます。 自分の縄張りの中では頂点を目指しますが、独りよがりになり態度は横柄です。 視野が狭く、思慮分別に欠けています。周囲には窮屈な思いをさせているのに、自分では気が付いていません。
夢見がちな恋愛にあこがれています。自己主張が強く、パートナーへの配慮に欠けています。 独立心が芽生えてくると、二人の時間よりも、一人でいる時間を大切にするようになります。 自分勝手にならないように心掛ける必要があります。
まじめな仕事ぶりは、高く評価されます。 夢や目標を、明確に持つようにしましょう。
悪い生活習慣は、強い意志を持って直せば、健康的な体を維持することができます。
イチモンジギク(Florists daisy)。
貞節。
キク科の多年草です。 菊の種類は数え切れないほど存在しますが、その中でも中型種の一文字菊。 中型と言っても直径30cmにもなる、一重咲きの花を、ほぼ平らに開きます。それはもう、見事な咲きっぷりです。 皇室の紋章ともなっている菊は、一文字菊を意匠化したものです。
グルメ志向が強く、美味しい情報を手に入れるとどこにでも飛んで行く行動派です。 自身の足で稼いだ情報を生かして、フードコーディネーターなど食品・外食関連の仕事が向いています。 新しい道に進んだとき、新しい恋愛がスタートします。
バイオレット・サファイア(Violet sapphire)。
華麗なる変身。
11日の夜から12日にかけて、イギリスには優しいウソの風習が残されていました。ひとつは、学生が入れておいた水が、翌朝になるとワインになっているというもの。でもこれ、実際には夜のうちに親がワインに入れ替えるのでした。もうひとつは、歯の妖精の贈り物と呼ばれ、抜けた乳歯を枕の下に入れておくと硬貨に代わるというもの。でもこれも、夜のうちにこそりと親が交換していました。 酔っ払いと宿屋の主人の守護聖人となっている聖マルティンの日。聖マルティンの祝日と言われ、目が覚めた時に贈り物を授かる日です。 宝石バイオレット・サファイアは、別名アメシスト・サファイアとも呼ばれ、ワイン色の宝石です。そしてアメシストは酔っ払いのお守りです。
透明度が高く、光沢の優れた赤みを帯びた紫色の宝石、バイオレット・サファイア。大人っぽい色調の宝石です。 10段階で表示されるモース硬度は、9あり、ダイヤモンドに次ぐ硬度を誇ります。熱、薬品にも強く、申し訳ない宝石です。 デリケートな色調を生かしたコーディネートを考え、センスアップを図ってください。
貪欲ともとれる旺盛なエネルギーの持ち主です。 買い物も、恋愛も、仕事も、なんでもこなす非の打ちどころのない人です。 活動的なタイプですが、それを続けるだけのスタミナが不足しています。 ラッキーカラーは紫色、バイオレット・サファイアを身に着けて、スタミナを充電してください。
1840年、オーギュスト・ロダン(彫刻家) 1842年(天保13年10月10日)、大山巌(日本陸軍の元帥) 1866年、孫文(革命家) 1929年、ミヒャエル・エンデ(作家) 1930年、俵孝太郎(政治評論家) 1937年、花井幸子(ファッションデザイナー) 1945年、ニール・ヤング(ミュージシャン) 1948年、銀河万丈(声優) 1950年、由美かおる(女優) 1956年、平忠彦(オートバイ・ロードレースライダー) 1958年、岩崎宏美(歌手) 1961年、ナディア・コマネチ(体操選手) 1962年、麻木久仁子(タレント) 1963年、寺島進(俳優) 1964年、河野景子(アナウンサー) 1967年、高木琢也(サッカー選手) 1968年、サミー・ソーサ(メジャーリーガー) 1983年、日本エレキテル連合の中野聡子(お笑い芸人) 1984年、寺川綾(競泳選手) 1986年、箱崎みどり(アナウンサー) 1987年、高良健吾(俳優) 1989年、清武弘嗣(サッカー選手) 1992年、上原亜衣(AV女優)
●女子留学生が出発 1871年(明治4年)。岩倉具視の遣米使節団とともに、津田梅子、山川捨松ら5人の少女が横浜港から出航しました。日本女性では初めて、パンツとスカートを着用したのも彼女たちになります。津田梅子はわずか9歳で、のちに日本語を忘れてしまうこともありました。帰国後、津田は津田英学塾(現在の津田塾大)を開き、山川は大山巌夫人となりました。 ●洋服記念日 1872年(明治5年)。日本人のライフスタイルは完全に洋服中心となりましたが、一番早く着物から洋服に代わったのは、役人の礼服でした。1872年(明治5年)の今日、「礼服ハ洋服ヲ採用ス」の太政官布告が発布され、それまでの公家風、武家風の和式礼服が廃止されました。役人は大礼服、通常礼服を着用することになりました。これにちなんで、全日本洋服協同組合連合会が洋服記念日を制定しました。女官服に洋服が採用されたのは、1886年(明治19年)になってからのことです。 ●ネッシー出現 1933年(昭和8年)。ヒュー・グレイが「ネッシー」の写真を初めて撮影しました。 ●東京裁判の判決 1948年(昭和23年)。A級戦犯東条英機ら25人に対して、絞首刑を含む有罪判決が出されました。 ●テレビ・ラジオによる党首討論会 1960年(昭和35年)。自民党の池田勇人、社会党の江田三郎、民社党の西尾末広によって、党首討論会が開かれました。 ●皮膚の日 1989年(平成元年)。日本臨床皮膚科医会が制定しました。11・12がいい皮膚と読める語呂合わせから。 ●全灯台が自動化 2006年(平成18年)。日本で最後の灯台守が勤務していた女島灯台が、この日から自動化されました。