三浦半島身近な図鑑 > こころコミュニティー > 誕生日・誕生花・誕生石占い > 12月17日生まれ
地に足の着いた、堅実なリアリストです。 現実的で、実直な考え方をします。言動にそつがなく、コミュニケーション能力は高めです。 実用性を何よりも重視するので、自分にとって不利益だったり、無意味だと判断した人や物には、容赦なく切り捨てます。 想像力が非常に貧困なので、クリエイティブな才能を持っている人に対しては、つねに劣等感を覚えています。 視野も心も狭い、カビの生えた石頭です。 現実にこだわりすぎて、常識を覆すような発想をすることができません。むしろ、そういった発想をする人を非常識だと批判攻撃することで、想像力が貧しい自分を正当化します。
非常に現実的な性格なので、夢見がちで理想を口にすることの多い人とは、相性は最悪です。 外見や資産といった条件面から内面に目をつぶって交際を始めたとしても、すぐに相手を見下して破局してしまいます。
融通の利かない性格なので、職場では孤立してしまいがちです。 妥協する心の強さを身に付けるべきです。
暴飲暴食しやすい傾向があります。 肥満を防ぐために、節制と体力を消耗するような運動をするようにしてください。
白花のコチョウラン(Orchid)。
厳粛な愛。
ラン科の多年草です。 鉢植えとして販売されていますが、原産地では樹木などに付着して生える着生植物です。 純白のコチョウランをブーケにして、花嫁がバージンロードを歩く・・・。女性なら誰しもが夢見るシーンかもしれません。 豪華な鉢植えの代表的存在で、お祝いのプレゼントに最適です。 白色がとても人気がありますが、濃淡のピンク色や絞りなど、さまざまな品種が作られています。
いつも夢を追いかけている、ロマンチストです。 ロマンを裏付ける実行力が身に着けば、大きな夢も必ず現実のものとなるでしょう。
スペクトロライト(Spectrolite)。
情熱的、危険な愛。
サトゥルナリア祭は、冬の陽気なお祭りです。タネを蒔くという意味を持つ古代ローマの農耕神、サトゥルスに捧げる農神祭の始まりの日です。大鎌をエンブレムとする種蒔きと収穫の神で、ときには時間をつかさどる神、ギリシャでは神クロノスにあたります。 バカ騒ぎと言ってもよいほどの乱痴気騒ぎで、仮装も施し、混沌の状態を表し、何かを生み出す前を意味しています。かがり火、爆発物、花火によって悪魔や魔女を追い払い、豊穣を願う大切なお祭り騒ぎです。 祭りの花火のように七色に輝き、鮮やかな効果を示す楽しそうな宝石が、スペクトロライトです。
光は赤色〜紫色の波長まで、7色で構成されています。 その7色が宝石の中に飛び散っているように見えるのが、スペクトロライトです。 ムーンストーンの仲間で、フィンランド産の宝石です。 10段階で表示されるモース硬度は、6〜6.5あります。劈開(へきかい)の性質を持つため、衝撃や超音波洗浄器の使用には注意が必要です。
自由な行動で気まぐれと思われ、ロマンチストな思慮深さは移り気と思われ、センスの良さは見栄っ張りな浪費家と思われてしまう、ちょっとそんなタイプです。 表面に感情が出てくるとき、反対側の言葉が用意されてしまっています。 自意識、情熱、エゴは、心の中にしまっておくように努力しましょう。 宝石の中に花火のような情熱を秘めた宝石スペクトロライトが、力を貸してくれるでしょう。
1957年、夏目雅子(女優) 1958年、假屋崎省吾(華道家) 1960年、TARAKO(声優) 1962年、上祐史浩(宗教家) 1965年、池山隆寛(プロ野球選手) 1966年、有森裕子(マラソン選手) 1970年、西村知美(タレント) 1971年、牧瀬里穂(女優) 1972年、佐々木恭子(アナウンサー) 1975年、ミラ・ジョヴォヴィッチ(女優) 1975年、ニコライ・モロゾフ(フィギュアスケートコーチ) 1979年、たんぽぽの川村エミコ(お笑い芸人)
●三十三間堂の完成 1164年(長寛2年)。後白河上皇、平清盛が造営した蓮華王院の落慶供養を行いました。現在の三十三間堂は、のちに再建したものです。 ●山高帽子を製作 1849年(嘉永2年)。ロンドンの帽子屋ボーラーが、コークという人物のオーダーで、山高帽を作成しました。狩猟の時、枝に頭をぶつけないために作られたものです。 ●最後の仇討 1880年(明治13年)。福岡の秋月藩士、臼井六郎が、母親の仇を12年目にして討ち果たし、自首しました。仇討ち禁止令が出て、7年後の出来事でした。 ●飛行機の日 1903年(明治36年)。アメリカのライト兄弟が、フライヤー1号機で空を飛んだのが、1903年(明治36年)の今日のコト。仲の良い二人でしたが、兄のウィルバーと弟のオービルは、コインの裏表で飛ぶ順番を決めました。飛行時間は1分にも満たなかったのですが、記念すべき大空の制覇です。しかしこの快挙を取材した新聞記者はわずか3名だけ、記事の扱いもごく小さなものでした。生涯を飛行機研究に捧げたライト兄弟は、ともに独身を貫きました。兄ウィルバーは、「私は妻と飛行機の両方を養う方法を知らない」と言って、その辛辣さが偉大な成功を生む秘訣となりました。 ●日本初のサッカー場 1950年(昭和25年)。横浜市の保土谷公園内に、日本初のサッカー場が造られました。 ●上野動物園にモノレール 1957年(昭和32年)。東京上野動物園に、娯楽用モノレールが開通しました。