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        |  | 新日本窒素肥料株式会社が原因 |  
        |  | 新日本窒素肥料株式会社水俣工場の工場廃液中の有機水銀が、水俣湾水域を汚染し、水中生物間の食物連鎖によって、魚介類に高濃度に濃縮されます。そういった魚介類を繰り返し食べた住人に発症しました。 1988年では、患者数2200人に達しています。
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        |  | 第二水俣病の発生 |  
        |  | 1965年には、新潟県阿賀野川流域でも、有機水銀による中毒症が発生しました。第二水俣病、または新潟水俣病と呼ばれています。 有機水銀の汚染源は、阿賀野川上流にある昭和電工株式会社鹿瀬工場でした。
 死亡患者の遺族の証言によれば『父は悶え、苦しみ、犬のように、猛獣のように狂い死にしました』とあります。
 1988年では、患者数690人に達しています。
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