やっとちゃんとした石碑を発見。でも、上総ライオンズクラブって書いてある(^^ゞ
戦国時代の1554年(天文23年)晩秋、北条綱成が2万余騎の兵を従えて向郷に陣屋を構えました。里見義堯、里見義弘の守る久留里城を攻撃してきました。
久留里城は里見義堯の戦略によって湯名城主山本左馬允、一宮城主須田将監、鳴戸城主忍足美作守、大多喜城正木時茂、周西城主茂木与茂九郎らの武将が馳せ参じ、小櫃川を挟んで数十日間あまりの攻防戦を繰り広げ、北条軍を撃退しました。
特に茂木与茂九郎は、16歳の少年武将でしたが、敵将火災左京介と小櫃川の中で組み討ちとなり、討ち果たしました。
翌年の弘治元年、再び北条軍の攻撃を受け、激戦となりましたが、久留里城は落ちることなく難攻不落の名を関東にて高めました。
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