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久留里城址資料館


土偶

JR久留里駅下車 徒歩20分
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土偶
土偶

 久留里城址資料館の展示品です。
 昔の人は器用に作るもんだなー。木の枝とかを使って、装飾したんだろうなー。
 君津市内清和市場から出土した土偶です。

写真撮影:2007年03月11日

磨製石斧

JR久留里駅下車 徒歩20分
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磨製石斧
磨製石斧

 磨製石斧って、なんて読むか知ってますか?「ませいせきふ」って読みます。もちろん文字通り、オノです。
 弥生時代の磨製石斧です。弥生時代といえば水田稲作が始まった時代とされています。近年、国立歴史民俗博物館の研究チームが、北九州の弥生土器に付着していた炭化物を化学分析したところ、紀元前10世紀という年代が測定されました。しかし一般的には、紀元前3世紀〜紀元後3世紀の約550年間を弥生時代と呼びます。

写真撮影:2007年03月11日

田下駄

JR久留里駅下車 徒歩20分
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田下駄
田下駄

 ヒノキを加工して作った田下駄。これは「たげた」って読みます。
 この田下駄が出土したということは、稲作が始まったという物的証拠にもなりますね。水田で体が沈んでしまうのを防ぐために使う履物です。
 九州北部に水田稲作が伝わったのは、紀元前5世紀頃と考えられています。以後、縄文文化と交わりながらも、日本列島の東方へと伝わっていきました。関東地方には紀元前1世紀頃に水稲がもたらされました。すでに弥生時代中期後半となっており、エジプトではクレオパトラが活躍していたころです。
 君津市常代にある常代遺跡は、南関東を代表する弥生時代の遺跡のひとつです。遺跡の発掘調査では、千葉県内最古の農具などの木製品が数多く出土しました。

写真撮影:2007年03月11日

狭鍬

JR久留里駅下車 徒歩20分
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狭鍬
狭鍬

 ブナ科コナラ属アカガシ亜属の木材を加工して作った狭鍬です。アカガシは材に赤味があり、非常に固いのが特徴です。
 常代遺跡のような低地の遺跡では、地下水の影響を受け木製品が腐らずにのこることがあります。しかし、水分を含んだ木製品は乾燥すると収縮して壊れてしまいます。そこで遺跡から採集後、すぐに水中に入れて保存をします。
 その後、樹脂で補強し、凍結真空乾燥で水分を抜き取る保存処理を行います。
身近な植物図鑑:ブナ科の植物

写真撮影:2007年03月11日

六本歯又鍬

JR久留里駅下車 徒歩20分
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六本歯又鍬
六本歯又鍬

 4本だけど、六本歯又鍬です。「ろっぽんばまたぐわ」って読みます。6本の歯のうち、2本は欠けてしまっています。材はやはり、ブナ科コナラ属アカガシ亜属の木材です。
 常代遺跡は、君津市西部を貫流する小糸川の下流域左岸の段丘上にあります。縄文時代から江戸時代に渡る遺跡であることが発掘調査により確認されました。
 弥生時代中期〜古墳時代前期にかけて、東海地方から広まった方形周溝墓が約160基も作られています。
 弥生時代中期の河川跡の調査では、農工具、容器、祭祀用具などの木製品、灌漑用の堰が発見され、君津市に水田稲作が伝えられたことや、弥生人の生活の一端が解明されました。
身近な植物図鑑:ブナ科の植物

写真撮影:2007年03月11日

十文字槍

JR久留里駅下車 徒歩20分
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十文字槍
十文字槍

 「じゅうもんじやり」。この槍で、グサッと串刺しにしちゃいます。 古刀に分類され、銘はありません。宝蔵院流の流派が好んで使用したタイプの槍です。
 日本で槍が使われるようになったのは、鎌倉時代後期になってからです。当初は雑兵用の武器でしたが、次第に武将たちが使うようになり槍術として発展していきました。

写真撮影:2007年03月11日

薙刀と素槍

JR久留里駅下車 徒歩20分
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薙刀と素槍
薙刀と素槍

 薙刀と素槍です。とっても綺麗な薙刀ですねー。
 薙刀は新刀に分類され、「奥州磐瀬須賀河住吉宗」の銘があります。薙刀は刀に柄を付けて使用されたのが始まりで、平安時代から使われています。銘には女性の名前をつけるのが一般的です。
 薙刀は僧兵が好んで使っていました。江戸時代以降は、女性の武術として広く愛好されました。
 素槍には銘はありません。もっとも一般的な槍です。

写真撮影:2007年03月11日

神楽道具

JR久留里駅下車 徒歩20分
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神楽道具
神楽道具

 獅子頭ですね。

写真撮影:2007年03月11日

懸仏

JR久留里駅下車 徒歩20分
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懸仏
懸仏

 懸仏は、銅や鉄の金属板の上に、仏像や神像を配置したものです。上部には壁に懸けられるように穴が開いており、寺社に奉納して礼拝されました。
 この懸仏は南北朝時代の作品とされており、銅製で鍍金(めっき)がほどこされ、中央には毘沙門天像が配置されています。

写真撮影:2007年03月11日

JR久留里駅下車 徒歩20分
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鯱

 金のシャチホコじゃないけど、久留里城のシャチホコ。感じでは鯱、または鯱鉾と書かれます。魚の姿をして、頭は虎の空想上の動物です。イルカやクジラの仲間のシャチがモデルになっているわけではありません。
 装飾としてだけでなく、鬼瓦のように魔除けとしての意味や、口から水を吐いて火を消してくれる火除けの意味なども含まれています。
 久留里城で使われた鯱です。
 元々は寺院の大屋根の両端に配置する鴟尾(しび)が、時代を経て鯱になりました。東大寺、唐招提寺の鴟尾が特に有名です。鯱は名古屋城が有名です。

写真撮影:2007年03月11日

JR久留里駅下車 徒歩20分
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鍔

 刀のツバ。刀剣の柄と刀身との間に挟んで、柄を握る手を防護するものの名称である。
 「八道市平、友清作」と書かれてあります。
 元々は実用品として、円形や四角形をしていて装飾などはありませんでしたが、江戸時代移行は工芸品や美術品として職人が腕をふるい、さまざまな絵柄の鍔が製作されるようになりました。

写真撮影:2007年03月11日

JR久留里駅下車 徒歩20分
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刀

 切れ味の鋭そうな刀。
 上から順番に行くと、一番上は新々刀に分類され、銘は「正雄」です。二番目は大阪新刀に分類され、銘は「国輝」。三番目は新刀に分類され、銘はありません。一番下は新刀に分類され、銘は「摂州住藤原忠行」です。
 刀は作られた年代によって4つに分類されます。日本刀と呼ぶ呼び方は、西洋の刀剣から見て日本の刀という意味になるので、日本人が日本刀と呼ぶのはおかしいのかもしれない・・・
 最も古いものを古刀(ことう)と呼びます。慶長年間(1596年〜1615年)以前に作られた刀のことです。
 慶長年間(1596年〜1615年)以後に作られたものは、新刀(しんとう)と呼びます。
 寛政年間以降(1789年)〜明治9年の廃刀令までに作られたものを、新々刀(しんしんとう)と呼びます。
 明治9年の廃刀令以降に作られた刀は、現代刀と呼びます。

写真撮影:2007年03月11日

短刀

JR久留里駅下車 徒歩20分
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短刀
短刀

 短刀っていっても、今の時代の常識から考えると、かなり大きな刃物です。
 上は古刀の短刀です。銘は「備州長船祐定」とあります。永禄12年2月に作出した短刀です。
 下は新々刀の脇差です。脇指とも表記します。銘は「総州住鶴斎池田寿宗」とあります。

写真撮影:2007年03月11日

当世具足

JR久留里駅下車 徒歩20分
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当世具足
当世具足

 うちにもこんな五月人形が欲しかったー。鎧と具足と甲冑の違い、何が違うんだろう。
 当世具足は「とうせいぐそく」と読みます。戦国時代末期から江戸時代にかけて、堅固で、軽装な新形式の具足が誕生しました。それを当世風具足、当世具足と呼びます。

写真撮影:2007年03月11日

土屋忠直坐像

JR久留里駅下車 徒歩20分
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土屋忠直坐像
土屋忠直坐像

 すごーくどうでもいいことなのかもしれない。こういうことをいうと、馬鹿にされるかもしれない。だけど、いつも気になるの。昔の人は美白だったんだなーって・・・

写真撮影:2007年03月11日

五百羅漢彫数珠

JR久留里駅下車 徒歩20分
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五百羅漢彫数珠
五百羅漢彫数珠

 写真を見ただけじゃわからないんだけど、数珠の玉のひとつひとつに、五百羅漢がひとつずつ彫られています。梵字っていやつ?
 武田信玄から土屋家へ拝領されたと伝えられる五百羅漢彫数珠(ごひゃくらかんぼりじゅず)です。
 土屋家は甲州武田氏の重臣です。土屋昌次(つちやまさつぐ)は、武田信玄・武田勝頼に使え「武田二十四将(たけだにじゅうよんしょう)」の一人でした。
 土屋家の跡を継いだ弟の土屋昌恒(つちやまさつね)は、1582年(天正10年)3月、織田・徳川連合軍の甲州攻めに敗れ、武田勝頼と共に滅びます。
 しかし、土屋昌恒の子、惣蔵(そうぞう・後の土屋忠直)は落ち延び、静岡県清水市の清見寺(せいけんじ)で修行をします。天正16年、徳川家康がこの寺を訪れた際、土屋忠直(つちやただなお)は徳川家へ仕官し、1602年(慶長7年)、久留里2万石の大名となりました。

写真撮影:2007年03月11日

里見義堯坐像

JR久留里駅下車 徒歩20分
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里見義堯坐像
里見義堯坐像

 里見義堯の坐像。

写真撮影:2007年03月11日

火縄銃

JR久留里駅下車 徒歩20分
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火縄銃
火縄銃

 一番上の銃は、管打式銃(かんうちしきじゅう)です。
 下の2つは、火縄銃です。
 関流砲術の始祖、関之信は、久留里藩主二代目の土屋利直に仕えました。その子、関昌信は平山村(現在の君津市平山)で、大筒を実射し、砲弾は3km先まで飛んだと伝えられています。

写真撮影:2007年03月11日

スタンプ

JR久留里駅下車 徒歩20分
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スタンプ
スタンプ

 久留里城址資料館のスタンプです。ちょっと失敗しちゃった。スタンプを見かけると必ず押してるんですが、なかなか綺麗に押せないんですよ。
 マイスタンプ台とか、持ち歩いたほうがいいのかな?綺麗に押せるように、ハガキを持ち歩いてるんだけど。色々使ってみたけど、ハガキが一番綺麗に押せるみたい。インクジェット用のハガキは試してみたことないんだけど、どうかな?乾燥が遅くて汚れちゃうかな?

写真撮影:2007年03月11日

スタンプ

JR久留里駅下車 徒歩20分
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スタンプ
スタンプ

 久留里城址資料館のスタンプです。スタンプが古いのか、インクが足りないのか、綺麗に押せないなぁ〜。
 天守閣は改修工事中で見られなかったんですよ。写真もないので、スタンプで我慢してね〜。せっかく海の向こうの千葉まで来たんだけど、無念じゃったぁ(>_<)

写真撮影:2007年03月11日
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