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白旗神社


白旗神社

JR鎌倉駅下車 徒歩13分
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白旗神社
白旗神社

 源頼朝のお墓のすぐ下にあるこじんまりとした神社、白旗神社です。公園が隣接しています。公園は小さいながらも、子供たちの遊び場となっています。
 考えてみると、鎌倉という場所は史跡である神社仏閣は多くありますが、子供の遊び場となるような場所が非常に少ないですね。公園の少ない街なので、小さな公園でも貴重な公園です。
 祭神は源頼朝になります。
 元々は法華堂がありましたが、1872年(明治5年)、背後の山腹を削り取り、1.7m地表に盛り土をして、白旗神社が建立され、源頼朝の霊をまつるようになりました。

写真撮影:2007年02月28日

法華堂跡

JR鎌倉駅下車 徒歩13分
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法華堂跡
法華堂跡

 白旗神社の前に建つ石碑、法華堂跡を示す石碑です。
 江戸時代にはここに法華堂がありました。しかし明治時代になり、それまでは一緒にまつられることの多かった神と仏を切り離す神仏分離の政策によって、法華堂は廃されてしまいました。
 そして1872年(明治5年)、ここに白旗神社が建てられました。その際、ここに安置されていた如意輪観音、地蔵菩薩、自休像と、手洗石は、来迎寺に移されました。
 法華堂は、先祖をまつるために建てられたものです。しかし、源頼朝のものが有名だったため、鎌倉で法華堂といえば、ここの法華堂を指すようになりました。ここは源頼朝の墓所を守り、霊をまつるための法華堂で、国の史跡に指定されています。江戸時代には、鶴岡供僧相承院(そうしょういん)が兼務していました。
三浦半島観光地図:鎌倉市西御門・来迎寺

写真撮影:2007年02月28日

忠魂碑

JR鎌倉駅下車 徒歩13分
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忠魂碑
忠魂碑

 白旗神社境内奥にポツンと建っている忠魂碑です。陸軍中将、寺内正毅の書によります。昔の人はみな、寺が上手ですねー。
 寺内正毅が陸軍中将を務めたのは1903年(明治36年)〜1906年(明治39年)になるので、その間に建てられたものだと思われます。その後、陸軍大臣になり、陸軍大将になっています。西南戦争で亡くなった人のために建てられた忠魂碑かな?
 寺内正毅(てらうちまさたけ)は、1852年(嘉永5年)2月24日)、現在の山口市にあたる長州藩で生まれました。日本の武士であり、陸軍の軍人であり、政治家でもあります。在任期間はわずか2年間でしたが、第18代内閣総理大臣に就任しました。
 寺内正毅は1877年(明治10年)の西南戦争において、右手を負傷しています。

写真撮影:2007年02月28日

源頼朝顕彰碑

JR鎌倉駅下車 徒歩13分
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源頼朝顕彰碑
源頼朝顕彰碑

 源頼朝のお墓への階段を挟んで、白旗神社の向かい側にある源頼朝の顕彰碑です。
 平成12年7月12日、源頼朝会によって建てられた源頼朝公顕彰碑です。
 歌碑は、日本中世史の権威であり、源頼朝研究の第一人者でもある大森金五郎氏によるものです。
 戦乱の中世を鎮定し、民百姓の生命財産を保障するとともに、政治を思うままにしていた公家衆の特権を剥奪し、日本で最初の武家政権を築いた英雄源頼朝を讃えたものです。

写真撮影:2007年02月28日
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