実に立派な本堂ですねー。上から見ると、また雰囲気が変わりますね。
また、彩色した鮮やかな輪宝文(りんぽうもん)、ボタン、キク、唐草文(からくさもん)などの土紋(どもん)をつけ、宋元風の衣文(えもん)がみられる如意輪観音像(にょいりんかんのんぞう)は、南北朝時代に作られたとみられています。光福寺(こうふくじ)から、如意輪堂(にょいりんどう)に移され、法華堂に移され、この来迎寺に移されました。
この如意輪観音の胎内には、由比の長者の一人娘の遺骨が納められているといわれています。
昔、鎌倉に由比の長者と呼ばれる染屋太郎大夫時忠が住んでいました。大きな屋敷に大勢の家来を雇い、何不自由のない生活を送っていました。この長者の一人娘が由比ガ浜で遊んでいると、1羽の大鷲が飛んできて、あっという間に娘をさらっていってしまいました。八方手を尽くして娘の行方を探しましたが、見付かったのは変わり果てた娘の姿でした。そして、せめてもの供養のためにと、如意輪観音の胎内に遺骨を納めたそうです。
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