1923年9月1日、午前11時58分。相模湾北西部を震源地とする大地震が関東全域を襲いました。
東京は震度7、マグニチュードは7.9。首都東京は壊滅状態に陥りました。あまりの激しさに、中央気象台の地震計はすべて針が飛ばされてしまい計測できず、東京帝国大学理学部の地震研究室にあった二倍地震計だけがかろうじて記録を続けました。
最大振幅は88.6mm、埋立地の下町ではその2倍前後に及ぶものと推測されます。
その後も、大きな余震が続き、被害は拡大しました。
朝方には低気圧が関東南部を横切り、叩き付けるような雨が降ったあと、青空が顔を出し、秒速10mの南風が吹いていました。各地で出火した火は、この南風にあおられて燃え広がりました。
記録によると、死者99474人、負傷者102961人、行方不明者38782人、朝鮮人虐殺被害者6000人、総被災者数340万人でした。 |