源頼朝のお墓とされる層塔です。以前、ここにお土産屋のような茶屋が建っていましたが、現在はなくなってしまったようです。子供の頃、ここでお土産のお財布を買ったんだよなー。
源頼朝は、平治の乱の後、伊豆の蛭ヶ小島に流されました。1180年(治承4年)8月17日、挙兵し、幾多の苦難を乗り越え、10月に鎌倉入りして武家政権の基礎を築きました。
大倉の邸内には持仏堂を建て、法華経購読をしました。その後、奥州攻め出発直後、邸の背後の山に持仏の聖観音を安置する観音堂建立を命じました。
1198年(建久9年)、相模川に橋を架け、その供養に出かけましたが、帰り道で落馬したことが原因で、1199年(正治元年)正月に53歳で亡くなりました。百日忌は持仏堂で行い、翌年の一周忌以降、持仏堂ではなく、法華堂と呼ばれるようになりました。
三浦半島観光地図:鎌倉市西御門・白旗神社
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