宝治の乱で破れた、三浦泰村(みうらやすむら)ら一族の墓だと伝えられているやぐらです。
三浦泰村は、1184年(元暦元年)に生まれました。父は三浦義村になります。通称は駿河次郎です。武勇に秀で、特に弓術を得意とした鎌倉幕府の有力御家人の一人です。
1247年(宝治元年)、北条時頼と安達景盛の謀略により、鎌倉で挙兵します。しかし戦いに大敗した三浦軍は追い詰められ、源頼朝の法華堂にて、一族郎党以下500余名と共に自害して果てます。
こうして、鎌倉幕府で政敵を排除した北条氏は、執権政治により独裁色を強めていくことになります。
三浦半島観光地図:鎌倉市西御門・源頼朝法華堂跡
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