1184年(元暦元年)8月、平家追討の源範頼に属して出陣し、中国を経て九州へ渡ります。
しかし半年におよぶ出陣にも、これといった戦果がなく、兵糧は絶え、船舶はなく、兵士の指揮は落ちる一方。さらに、兵士の指揮を叱咤激励して軍規を引き締める立場の和田義盛までもが、鎌倉に帰りたいと言い出します。源範頼は、和田義盛らをなだめるように窮状を鎌倉に報じています。
源頼朝は源範頼ら十二将士に懇切な書を遣わして励ましています。しかしなぜか、和田義盛にはその書は届かず、月余の後、西国御家人の交名を注進するように命じられています。
西国追討を終えて鎌倉に帰還したのは、文治元年(1185年)10月20日ごろになります。 |