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祭神は天照大神と、和田義盛です。
鎌倉幕府侍所の別当だった和田義盛が、北条討伐の兵を挙げましたが、利なく破れ、鎌倉の和田塚にて一族ことごとく自害しました。しかし、和田義盛の善政を偲び、1263年(弘長3年)、和田の郷氏がこの地に社殿を設け、白旗神社と称してできたものです。
その後、1699年(元禄12年)に矢作に造られた神明社と合祀され、神明白旗神社と呼ばれるようになりました。合祀されたのは明治時代の終わりごろで、神社の扁額には横須賀鎮守府長官の上村彦之丞中将の筆によるものです。
白旗神社の名は、和田義盛が1186年(文治2年)、平家討伐に出陣し大勝を収め、意気揚々と和田城に凱旋し、城内を開放して紅白の幡を立て、城内鎮護の八幡社に戦果を報告したことに始まりました。その時、領民を交えた酒席での戦勝の舞「初声」を舞ったとされることから、地名も「初声町」となりました。
相模風土記によれば、ご神体は和田義盛の銅製の肖像で、本地仏は和田党93騎の守護仏ですが、現在では損傷してしまいわずか8体のみが残されています。
社殿は神明造りの社殿に、拝殿、幣設が設けられています。
三浦半島の歴史:人物事典・和田義盛
三浦半島の歴史:1213年・和田義盛の乱 |
心臓破りの急階段 |
バス停和田下車 徒歩5分
白旗神社 |
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急な階段を登れば、境内からは、和田、入江新田、下宮田の田園風景が一望に眺められる景勝の地です。
この階段、約50段ほどありますが、えらく急勾配で登っただけで膝がガクガクになります(^^ゞ。ちなみに正式名称が「心臓破りの急階段」なわけではなく、私が勝手に名付けた名前です。
実は、この急な階段を登らずとも、横から坂道がありますのでそちらを利用した方が良いかもしれません。特に帰り道は、この急な階段は危険なので、わき道の坂道の利用をお勧めします。
ちなみに、ネコがたくさんいます(^^) |
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2体並んだ狛犬。当然ですが、反対側にも2体並んだ狛犬がいます。総勢4体。
おそらくは、明治39年の神社統合令によって、白旗神社と神明社が合祀された時、神明社から狛犬を運んできたものと思われます。どちらが白旗神社のもので、どちらが神明社のものなのかは、わかりませんが・・・
手前の小さな狛犬は、ほとんど崩壊しています(^^ゞ |
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白旗神社で目を引くのは、なんといっても多数ならんだ庚申塔群ですしょう。15基確認できましたが、もしかしたら朽ち果てた庚申塔などがまだ草むらの中に隠れているかもしれません。
ここの庚申塔群はすばらしいですね。たくさんあって、造りにも違いが見られます。
彫られている主尊も違いますし、文字だけのものもあります。猿も1匹のものと、3匹のものとがあります。もちろん塔の形そのものも多種多様です。
1基づつ、じっくりと調べたいくらいの気持ちにさせる庚申塔たちです。 |
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