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祭神は素盛鳴尊(すさのおのみこと)です。漢字での表記の仕方は色々ありますが、素盞嗚尊や須佐乃袁尊と書くのが一般的かな。牛頭天王と同一です。
ですので、別名を牛頭天王社、または八雲神社とも呼ばれています。
1687年(貞享4年)、藤原朝臣の大井甚五左衛門の勧請と伝えられています。 |
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小さな社殿です。物置のようにも見えますが・・・。イナバ物置なら100人乗っても大丈夫ですが、こちらは3人程度が限界なのではないでしょうか。
社殿も小さく、境内も非常に狭いのですが、地元の方によって綺麗に管理されているようです。 |
和田義盛旧里碑 |
バス停和田下車 徒歩5分
天王社内 |
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大正10年10月3日、三浦氏の末裔、三浦英太郎男爵が、和田義盛を偲んで建てた碑です。
このあたりから、大泉寺、安楽寺跡あたりを含めた一帯が、和田義盛が館を構えていた所と伝えられています。三浦半島南部にあり、周囲は海に囲まれ、敵の不意打ちにあう心配はなかったと思われます。
丘陵の多い三浦半島では、最大の平地であり、衣笠城の食料庫として水田を開拓し、米などの食料を得ていたといいます。
当時は、三浦半島のほぼ全域が三浦一族の支配下にあったので、戦となれば、本拠地の衣笠城に集まることになっていました。
ちなみに旧小字名でも、この場所を和田ノ里といいます。
目の錯覚でしょうか、石碑が曲がって見えます(^^ゞ
三浦半島の歴史:三浦市初声町和田・大泉寺
三浦半島の歴史:横須賀市衣笠町・衣笠城址
三浦半島の歴史:人物事典・和田義盛 |
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何かが書かれた石碑です。すべて漢字で書かれていて、読む気がうせたので、写真だけ撮っておきました。あとで読もうかと思ったんですが、やっぱりわからんかった(^^ゞ
神社の縁起や、和田義盛について書かれた石碑ではないようです。水田や水に関係することが書かれているようなきもしますが、はてさて、正確には何と書かれているのやら。
明治時代に建てられた石碑のようです。 |
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