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三浦半島の付け根、柏尾川中流の左岸にできた沖積層上に位置しています。東部には海抜約140mの六国見山があり、この山を中心とした支谷があります。
弥生時代の土器が出土します。
寛永10年は幕府領、元禄10年は幕府領と旗本長山氏の知行、幕末には幕府領と旗本の蜷川氏・能瀬氏・根岸氏・木原氏の相給でした。
村高は、「元禄郷帳」では932石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」では927石余でした。旧高旧領では、幕府領49石余、蜷川氏知行258石余、能瀬氏知行173石余、根岸氏知行204石余、木原氏知行241石余です。
戸塚宿の助郷を務め、元治元年の戸塚宿助郷高控によれば当勤高185石、休役高370石とあります。
新編相模国風土紀稿によれば、江戸から12里、村内を戸塚宿からの鎌倉往還が走り、東西20町・南北8町、家数68軒、鎮守は熊野社、寺院は臨済宗常楽寺、真言宗多聞院とあります。
熊野社の御神体の台座には、天正7年勧請とあります。熊野社別当が多聞院になり、開山は南介僧都、開基は大船村の名主の天糟氏です。
常楽寺は建長寺の末寺で、安政2年の朱印寺社高反別・除地寺院書上によれば、建長寺領永95貫余のうち、1貫800文が常楽寺分とあります。開基は北条泰時、開山は退耕行勇です。
明治元年、神奈川府を経て、神奈川県に所属となりました。
明治20年、東海道線横浜〜国府津間が開通し、明治21年に大船駅が開通しました。
明治22年、小坂村の大字となりました。
明治24年、戸数91、男290人、女298人。
大正14年、常楽寺の銅鐘が国の重要文化財に指定されました。
昭和8年〜昭和22年、小坂村と玉縄村が合併し大船町が誕生し、鎌倉郡の自治体となりました。合併各村の10個の大字を継承しています。
昭和初期、米、麦のほか、蔬菜や花卉を栽培していました。
昭和10年、世帯数1,962、人口9,907。
昭和11年、松竹大船撮影所が開設しました。第1作は島津保次郎監督・佐分利信主演の「家族会議」でした。
昭和22年、大船中学校が開校しました。
昭和23年、鎌倉市に編入され、町制時の10大字は鎌倉市の大字に継承されました。
昭和25年、世帯数1,437、人口6,524。
昭和26年、大船小学校が大船中学校を仮校舎として開校、昭和28年に現在地に新築移転されました。
昭和35年、世帯数1,925、人口8,017。
昭和42年、大船・小袋谷・岩瀬の一部が大船になりました。一部は台になりました。
昭和45年、世帯数2,237、人口7,642。
昭和51年、世帯数2,487、人口7,882。 |